井上 亮

ジャーナリスト

いのうえ・まこと/1961年大阪府生まれ。全国紙記者として皇室、歴史問題などの分野を担当。元宮内庁長官・富田朝彦の「富田メモ」のスクープ報道で2006年度新聞協会賞を受賞。「歴史家の目を併せ持ったジャーナリスト」として、2022年度日本記者クラブ賞を受賞。2024年4月に新聞社を退職。著書に『天皇と葬儀』(新潮選書)、『熱風の日本史』(日本経済新聞出版)、『昭和天皇は何と戦っていたのか』(小学館)、『天皇の戦争宝庫』(ちくま新書)、『象徴天皇の旅』(平凡社新書)など。

火炎瓶が投げられても上皇陛下は再び訪れ…戦後の「沖縄の心」を変えた行動とは?
井上 亮
太平洋戦争中、日本本土内で唯一民間人も巻き込んだ戦闘が行われ、大きな傷跡を残した沖縄。戦争遂行の大義名分となった皇室への沖縄県民の遺恨は深く、当時の皇太子同妃両殿下(現在の上皇陛下と上皇后陛下)も心を深く痛めていた。自身に火炎瓶が投げつけられるという予想外の事態に見舞われながらも、再度沖縄に足を運んだ皇太子。そこで沖縄県民の心を掴んだある一言とは?※本稿は、井上亮『比翼の象徴 明仁・美智子伝 中巻 大衆の天皇制』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
火炎瓶が投げられても上皇陛下は再び訪れ…戦後の「沖縄の心」を変えた行動とは?
美智子さま巡る週刊誌「皇室論争」で、上皇陛下がとった「前代未聞の一手」とは?
井上 亮
時は1965年。日本は高度経済成長期の真っ盛りにあり、1959年に結婚した皇太子夫妻も子宝に恵まれ幸せの絶頂にいた。しかし、旧華族出身者ではない美智子さまに対する風当たりもまた強かった。週刊誌上で加熱する皇室論争。そこで当時、皇太子であった明仁上皇陛下がとった前代未聞の一手とは?※本稿は、井上亮『比翼の象徴 明仁・美智子伝 中巻 大衆の天皇制』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
美智子さま巡る週刊誌「皇室論争」で、上皇陛下がとった「前代未聞の一手」とは?
「手榴弾だと思いました…」上皇さま・美智子さまの「空前絶後の結婚パレード」の舞台裏
井上 亮
2024年で世に「ミッチーブーム」を巻き起こした上皇陛下のご成婚から65年を迎えた。沿道には53万人の見物人、普及し始めたTVの前に集まったのは1500万人の観客。まさしく日本メディア史最大級のイベントとなった結婚式の舞台裏とは――。※本稿は、井上亮『比翼の象徴 明仁・美智子伝 中巻 大衆の天皇制』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
「手榴弾だと思いました…」上皇さま・美智子さまの「空前絶後の結婚パレード」の舞台裏
羽虫を千枚通しで…上皇陛下が皇太子時代に抱えていた孤独と苛立ち
井上 亮
1951年5月17日、当時の皇太后が急死した際、上皇はその時、皇太子だった。喪に服す皇太子が募らせた弟へのイラ立ちの理由とは。※本稿は、井上亮『比翼の象徴 明仁・美智子伝 上 戦争と新生日本』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
羽虫を千枚通しで…上皇陛下が皇太子時代に抱えていた孤独と苛立ち
「外ヅラの悪さでは天下一品」上皇陛下が皇太子時代、公式行事で無表情を突き通したワケ
井上 亮
昨年、90歳を迎え穏やかに過ごしている上皇陛下。しかし、皇太子時代は、自身の運命と置かれた環境に苦悩していたという。知られざる上皇陛下の皇太子時代のエピソードを紹介しよう。※本稿は、井上亮『比翼の象徴 明仁・美智子伝 上 戦争と新生日本』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
「外ヅラの悪さでは天下一品」上皇陛下が皇太子時代、公式行事で無表情を突き通したワケ
「世襲の職業は…」上皇陛下が青春時代に漏らした皇位継承への「本音のひと言」
井上 亮
日本の憲政史上、初めて譲位された上皇陛下。平成の天皇として知られているが、学友とともに過ごした青春時代の様子は、あまり知られてはない。上皇陛下の青年期の様子を紹介しよう。※本稿は、井上亮『比翼の象徴 明仁・美智子伝 上 戦争と新生日本』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
「世襲の職業は…」上皇陛下が青春時代に漏らした皇位継承への「本音のひと言」
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