美智子妃は五島美代子との“修行中”に詠んだ百首の歌を皇太子へ贈っていた。この結婚では皇太子にとって1番の贈り物だった。その内容は余人では師の五島のみが知るが、「誰にも漏らすわけにはいかない」と口外していない。ただ、「圧倒的に多かったのは、御婚約中の殿下に対する慕情をお詠みになったもの」と語っている。
TVイベントは大成功!
一方で浮き彫りにされた“東京”の現実
パレード後に仮御所を訪れた小泉信三は「殿下はまだ大礼服勲章のまゝでお出でになりましたが、しかし、「テレビの実況がほんもの(真の現実)かどうか疑わしい」という指摘もあった。華麗な馬車妃殿下はもう淡いグリーンの平服におかへになり、89人の男の中にたつた1人の女性として、しづかに人の話をきいてお出でになり、これがあの凄まじいといへるほどの歓呼を浴びて来た方とも思へず、おえらいものだと思ひました」と感想を述べている。
![書影『比翼の象徴 明仁・美智子伝 中巻 大衆の天皇制』(岩波書店)](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/8/0/200/img_800e32abc0dab216182635442e8d06c827755.jpg)
井上亮 著
午後4時に晴れの膳を囲む「供膳の儀」が行われた。夜は美智子妃の年の数だけ小さな餅を銀盤4枚に載せ、それを箱に納めて寝所に供える「三日夜餅の儀」があり、この日の結婚の儀式を終えた。
パレードのテレビ視聴率はKRTが31%、NHK27%、日本テレビ21%だった。空前のテレビイベントは大成功だった。しかし、「テレビの実況がほんもの(真の現実)かどうか疑わしい」という指摘もあった。華麗な馬車列と美しい美智子妃を映し出す一方、「行列の裏側に押し潰されたような家並みを写した空中撮影のショット」があった。それでも東京ではまだ「ハイクラス」の部類であり、「さらに惨めな家に住む都民がテレビスクリーンに押しかけて、この一瞬に歓呼を送っている様子が、このご盛儀とは不思議なアンバランスを保って感ぜられる」のだという。
日本はまだ貧しかった。成婚パレードの華やかさと庶民の暮らしには大きな格差があった。一方、皇室に嫁ぐということは庶民のように「柳行李ひとつ」というわけにはいかなかった。成婚の5日ほど前、東宮仮御所に正田家から6トントラック3台分の支度品が運び込まれた。総桐のタンスや寝具、宝石箱などで、正田家が負担した婚礼経費は2000万円とも5000万円ともうわさされた。