自分は何も持っていない」「いつも他人を妬んでしまう」「毎日がつまらない」――誰しも一度は感じたことのある、やり場のない鬱屈した思い。そんな感情に寄り添ってくれるのが、イラストエッセイ『ぼくにはなにもない 愛蔵版』。小説家だけではなく、大人気ゲーム実況グループ「三人称」の鉄塔としても活躍する賽助氏も本書の読者だ。この記事では本の感想も交えながら、賽助氏が考える「心の持ち方や生き方」について語ってもらった。(構成/ダイヤモンド社・林拓馬)

「親友はいなくていい?」孤独を感じたとき、一度考えるべきこと『ぼくにはなにもない 愛蔵版』より

親しい人が誰もいないときの孤独感とどう向き合うか

親しくしてくれる人が誰もいないと感じたときの孤独感

今でも、自分が悩んでいることを相談できるほど親しい相手ってほとんどいないんですよね。

周りにはゲーム実況の仲間とか、付き合いのある人たちはいるんですけど、心から深刻な話を相談したことは無いような気がします。

でも、その状況にはもう慣れちゃった感じがあります。

あと「他の人たちはどうなんだろう。みんなは相談できる相手がいるのかな」って考えたときに、「案外皆もそんな人はいないのかもしれない」と思うこともあります。

孤独を感じることはこれまで何度もあったんですけど、「何かをやっているとその気持ちが紛れる」のも事実なんですよね。

だから「孤独感」をどうにかしようと深く考えるよりも、何かに没頭することで自然とやり過ごすという方法もあると思います。

それから、「親しくしてくれる人」って、そもそもどういう存在なのか、自分の中で考えが漠然としすぎているなとも思うんです。

例えば、ゲーム仲間がいればそれで満足なのか、どこか一緒に出かけられる人が欲しいのか、それとも深刻な悩みを相談できる相手が欲しいのか。

このあたりをちゃんと自分の中で整理して考えると、孤独の感じ方も変わるんじゃないかと思っています。

僕の場合、オンラインゲームで一緒に遊ぶ相手がいればそれだけで結構満たされている部分があります。

オンラインで一緒にゲームをしていると、「親しい相手」と思えることもあります。

でも、その人たちとは会ったこともないし、連絡先だって知らない場合もあるんですよね。

じゃあ、それを「親しい」と呼べるのか? って言われると、人それぞれの見方の違いによると思います。

だから、「友達がいないな」って感じている人がいたとしても、そもそも「どこからが友達なのか」をもう一度考えてみると、少し気持ちが楽になるんじゃないかなと思います。

友達の定義が人によって違うからこそ、自分のなかでハードルを上げすぎているのかもしれません。

僕は「親友」って呼べる人がいなくてもでも、大きく困っているわけでもなく、どうにかやれています。

もしかしたら、そういう「親友」に固執せずに、ぼんやり孤独でいるスタイルもありなんじゃないかと思っています。

(本記事は『ぼくにはなにもない 愛蔵版』の感想をふまえた賽助氏へのインタビューをもとに作成しています)

「親友はいなくていい?」孤独を感じたとき、一度考えるべきこと
賽助(さいすけ)
作家。埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。著書に『はるなつふゆと七福神』『君と夏が、鉄塔の上』(以上、ディスカヴァー・トゥエンティワン)『今日もぼっちです。』『今日もぼっちです。2』(以上、ホーム社)、『手持ちのカードで、(なんとか)生きてます。』(河出書房新社)がある。