地方生まれで東京大学なんて行ったこともなければ、東大生なんて会ったこともない。そもそも両親も高卒で、祖父母含めて一家で大学に行った人はいない。それでも塾なしで東大合格したが、大学進学後はお金がなくて一人で泣いていた。けれど「親ガチャ」「出身地ガチャ」という言葉は嫌い。いわゆる「天才」でも全くない。
今では東大大学院に在籍しながら上場企業で業績を上げ、活躍の場を他社にも広げる25歳の矢口太一さん。そんな矢口さんが中学校の先生に言われて「悔しくて泣いた言葉」と、「御守りのような言葉」とは? 初の著書『この不平等な世界で、スタートラインに立つために』から、抜粋・再編して掲載する。
「東大なんか行けるはずがない」と先生は言った
「東大どころか、このクラスからは○○大学に行くやつも確率的にはいないはずだ」
ある授業で先生がこう話し始めた。
気づいたら、僕は涙目になって、悔しくてこめかみにぎゅっと力を入れて先生を見つめていた。
先生に特に意図はなかったはずだ。何かの拍子で大学の話になった。僕たちクラスメイトの両親の少なくない割合が高卒だから、そもそも大学受験のこと、大学生活のこと、どんな大学があるのか、まるで知らない生徒が多かったはずだ。その解像度の低さを見て、(大卒の)先生は「現実」を教えてくれた。
「この○○大学もすごい難関大学なんやぞ。例えば、この地域の進学校は伊勢高校やけど、そこから1人2人行ければいいほうや」
「東大どころか、確率で考えたら、このクラスから○○大学に行くやつが1人出たらいいほうやぞ」
「だから頑張れ」と先生は発破をかけたのだろう。きっとそういう意味なんだろう、ということは僕にもわかった。でも、僕たちは「どうやって」頑張ればいいのかを知らない。両親に聞いてもわからないし、塾に行ったとしても定期試験対策の塾ではそういった事は教えてもらえないだろう。
「お前たちには『資格』がない。もう少し『身の丈』を考えたほうがいい」
そう言われていると感じた。僕たちには「資格」がないんだろうか。そう思った。
僕はずっと歯を食いしばって、なぜだかこぼれそうな涙を抑えて、先生をまっすぐに見つめていた。