「常識」は抜け駆けを許さない

「常識」への同調圧力はすさまじい。自分が属する集団やコミュニティの「常識」とは違う目標を持ったり、異なる行動をとったりすれば、冷めた目で見られることはほぼ確実だ。いじめられたり、悪目立ちして浮いたりすることも覚悟したほうがいい。

 とにかく、自分の属する集団やコミュニティの「常識」に合わせるのが、一番楽だ。周りが勉強をするなら勉強しておいたほうがいいし、周りがゆったりしているなら自分もゆったりしていたほうがいい。「常識」は抜け駆けを許さない。

 我が道を行く、なんてもってのほかだ。

「エリートコース」と「普通の人たち」に決定的な違いがあるとすれば、それぞれの「常識」の違いだと僕は思う。

「エリートコース」なら、勉強するのが当たり前、東大や早慶といった有名大学に進学できれば良いし、海外大を選択肢に入れてもいい(だって兄弟も知り合いも行っているから)。両親も仕事で英語を使っているから、英語は将来「使うもの」だ。

 一方の「普通の人たち」にとって、勉強は定期テストの期間中だけでいいし、地元の国立大に行ければ万々歳だ。だって、両親は高卒なんだから。英語は「使うもの」ではなく、喋れたら「カッコいい」ものだ。必要性は正直全く感じない。

 人は生まれ落ちた家庭、コミュニティ、集団の「常識」に多くを規定されている。そんな「常識」に逆らわずとも、スタートラインにたどり着ける、それが「エリートコース」の一番の有利な点なのだと思う。東大を目指すだけで、数学や歴史にのめりこむだけで、無用なからかいや説教を受けなくて済む。「数学オタク」ではなく、「すごいやつ」と思ってもらえるかどうか、その違いだ。

「常識」を抜け出し、違う道に行くには、大きな心理的エネルギーが必要だ。正直それだけでものすごく疲れる。「普通の人たち」がスタートラインに立つための第一歩は、自分だけの「旗」を掲げることだと思う。周りからなんと言われようと、背筋がすっと冷たくなって、自分の中にある「常識」が何度もやめようとささやいても、自分がその「旗」を信じて、掲げ続けること、そこからのスタートだ。そのためには心に灯をともす「何か」が必要だと思う。