「あなたは人生というゲームのルールを知っていますか?」――そう語るのは、人気著者の山口周さん。20年以上コンサルティング業界に身を置き、そこで企業に対して使ってきた経営戦略を、意識的に自身の人生にも応用してきました。その内容をまとめたのが、『人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』。「仕事ばかりでプライベートが悲惨な状態…」「40代で中年の危機にぶつかった…」「自分には欠点だらけで自分に自信が持てない…」こうした人生のさまざまな問題に「経営学」で合理的に答えを出す、まったく新しい生き方の本です。この記事では、本書より一部を抜粋・編集します。
電通社員だった若手社員がコンサルに転職した「適応戦略」
本書では、経営戦略で使われる「適応戦略」について、人生にどう役立てるかを紹介しています。
一方で、自分の人生もまた適応戦略の連続であったことがあらためて思い出されます。
私自身は広告代理店からキャリアをスタートしています。
当時のキャリア・ビジョンは「人生の前半はCMプランナーとして活躍し、後半はさまざまな領域でクリエイティブ・ディレクションに関わりたい」というものでした。こうやってあらためて文字にしてみると赤面を禁じ得ません。
この目論見は、入社から数年後には脆くも崩れ去ることになります。というのも、自分の考えたCMの企画やコピーがことごとくNGとなって採用されないのです。
当時の私は自分にクリエイティブの才能があると勘違いしていますから、当初は「おかしいな、なんで自分の企画は採用されないのだろう」といぶかしんでいましたが、流石にこれが数年も続けば「どうやら自分にはセンスがないらしい」ということはわかってきます。
そもそもクリエイティブの仕事がやりたくて電通に入社したのに、どうもそちら方面には才能もセンスもないということがわかってきた……さてこれはどうしたものか、と途方に暮れていた暮れのある日、さる出来事がありました。
クライアントのテレビ広告に視聴者からクレームが入ったということで、クライアントの宣伝担当取締役と電通側の顧客担当取締役も入った大規模な会議が開催され、そこでクレームへの対処策が議論されたのです。
クライアント側は役員を筆頭に宣伝部員が全員出席しています。電通側も役員を筆頭に、担当チームが全員出席しています。当時、入社5年目だった私は末席に連なっていましたが、議論は主に役員と部長がリードしており、私自身は、夜に予定していた友人との飲み会に遅れたくないので「早く終わらないかな」と思いながら、その議論をぼんやりと聞いていました。
ところが、この議論がいつまで経っても堂々巡りの迷走を抜けられないのです。しばらくは傍観者的に議論を聞いていた私ですが、会議が数時間に及び、いよいよこれ以上かかると友人との待ち合わせに遅れてしまいそうだという時、しびれを切らして会議室の中央にあるホワイトボードのところに歩み出て、次のように議論を仕切りました。
「ここまでの皆さんの議論を図に整理するとこういうことになりますね。すると結局のところ3つの対応策しかないということになります。ひとつ目の対応策については現時点ではデータがなく、効果検証できないので、これはクライアントさん側でデータ収集してください。2つ目の対応策については、電通側のデータが必要になりますので、今週中に整理しておきます。3つ目については、ひとつ目、2つ目の効果シミュレーションが出ないと、比較・決定ができないので、来週にデータを持ち寄って、最終的な意思決定をするということでどうでしょう? はい、良さそうですね、では今日の会議はここまでということにしませんか?」
いきなり、それまで議論に参加していなかった若造がズカズカと大会議室の中央に出てきて会議を仕切ったわけですから、上司はヒヤヒヤものだったと思いますが、どうもこの提案は参加者全員にとって納得感のあるものだったようで、その会議はそれで本当にお開きになったのです。
さて翌日です。
私自身は、クライアント企業の役員を前にして慇懃無礼とも取られかねない仕切りをしたことから、注意を受けるだろうなと覚悟して出社したところ、案の定、着席しようとしたところを部長から「ああ山口、局長が呼んでるぞ」と言われ、暗澹たる気持ちで局長室を訪れたところ、あにはからんや「いやあ山口、お前の昨日の会議の仕切りはすごかったなあ、あの後で役員の○○さんからもお礼のご連絡をいただいたぞ」と褒められたのです。
私としては「こんなことは誰がどう見たってすぐにわかるだろう」と思っていたことですから呆気に取られるような思いです。
結局、これがきっかけとなって、それ以来、クライアント企業で議論が紛糾すると「電通の山口に参加してもらおう」ということが多くなり、これが、自分の強みは「クリエイティブなアイデアを生み出すこと」ではなく、「複雑な問題を整理・構造化すること」にあるという認識の修正につながりこれが広告クリエイティブのキャリアから、経営コンサルティングのキャリアへの転換へとつながっていったのです。
実を言えば、次に進んだ経営コンサルティングの世界においても、当初想定したポジショニング戦略はうまく行かず、ふたたび適応戦略を実践することになるのですが、長くなるのでここではこれ以上踏み込むことは止めておきましょう。
私たちが立てる当初の「人生の経営戦略」は多くの仮説に基づいているため実際にはうまくいかず、修正あるいは破棄を余儀なくされることがしばしばあります。現在のように不確実性が高まっており、長期の見通しが立てにくい社会を生きていく上で、「適応戦略」は必須に求められるものだと言えるでしょう。