毎年「当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦」で今年の予想を書いていたが、年末年始で読んだ2冊の本で、「これから1年で何が起きるか」を考えてもあまり意味がないように思えてきた。なぜならわたしたちはいま、人類史的な「テクノロジー爆発」の渦中にいるのだから。
10年以内にこの世界の風景が大きく変わることを、AI企業DeepMindの共同創業者ムスタファ・スレイマンは、『THE COMING WAVE AIを封じ込めよ DeepMind創業者の警告』(マイケル・バスカーとの共著/上杉隼人訳/日本経済新聞出版)で、石器、火、言語など、これまで人類が発明してきた汎用技術を例に挙げて説明している。
汎用技術とは、「広く拡散し、そこから新たな発明、モノ、組織的行動を生み出す」ことで歴史を変えていく基幹的なテクノロジーだ。人類文明の土台となる汎用技術は、農業や文字、青銅・鉄などの材料開発から活版印刷、電気、インターネットまで、これまでわずか24しかなかったという。
だが人類史を俯瞰(ふかん)で見ると、汎用技術の開発ペースが指数関数的に上がっていることがわかる。それをスレイマンは、次のように説明する。
紀元前1000年までの1万年間に、人類は七つの汎用技術を手にした。1700年から1900年の間には、蒸気機関から電力に至る六つの汎用技術を得た。最近100年を見ても、汎用技術が七つ出ている。19世紀末に生まれた人は、馬車で旅をして、暖炉に薪をくべて暖をとって育ってきたが、晩年には飛行機で移動し、原子力発電によって暖められた家で暮らしたのだ。
人類のほとんどは、新しいテクノロジーの拡散を目にすることなく人生を終えてきた。だがわたしたちは、これから巨大なテクノロジーの大波(The Coming Wave)を体験することになる。
2029年にコンピュータの性能が人間の知能を超え、相手が人間なのかコンピュータなのか判別できなくなると予測する
未来学者のレイ・カーツワイルは2005年に“The Singularity Is Near; When Humans Transcend Biology(シンギュラリティは近い 人類が生物を超えるとき)”――邦題は『ポスト・ヒューマン誕生 コンピューターが人類の知性を超えるとき』(井上健訳/NHK出版)で、テクノロジーの発達における技術的収束と指数関数的な性能の向上によって、2045年に「シンギュラリティ(特異点)」に到達すると予測した。
この“予言”を20年後に検証する『シンギュラリティはより近く 人類がAIと融合するとき』(高橋則明訳/NHK出版)では、「シンギュラリティ」を「数学と物理学で使われる言葉で、他と同じようなルールが適用できなくなる点」だと説明している。物理学では、ブラックホールの中心にある無限に密度の高い点がシンギュラリティで、そこでは通常の物理法則は破綻している。
テクノロジーがシンギュラリティに向かうのは、「収穫加速の法則(the law of accelerating returns)」が働いているからだ。
標準的な経済学では、農業や工業などを念頭に、ある生産システムに資源の投入を増やしても、収穫(限界生産力)は投入量に応じて増えるわけではなく、逆に減っていく(逓減する)と考える。同じ広さの土地に倍の種を植えても収量が倍になるわけではないし、工場の機械や労働者を倍にしても生産力は倍にはならない。
一方、ソフトウエア(Microsoft)やインターネット(Google)のような物理的な制約のない市場では、資源の投入を増やせば増やすほどコストは下がり、収穫(利益)は増えていく。これを「収穫逓増」といい、GAFAMのようなグローバルなプラットフォーマーの登場を説明する。
それに対してカーツワイルのいう「収穫加速」とは、コンピューティングのような情報テクノロジーにおいて、ひとつのイノベーション(発明)が別のイノベーションと結びついて、そのコストが指数関数的に下がっていく(それによって収穫が加速する)ことをいう。
カーツワイルが好んで取り上げるのが計算能力(コンピュータの価格性能比)で、インフレ調整後の価格で見ると、2005年から24年までの20年間で、1ドルで買える計算能力は1万2000倍になっている。この価格性能比(1ドル・1秒あたりの最高計算回数)は、1935年を起点として、平均すれば5年ごとにほぼ10倍になっている。
これが一貫した法則であることを発見したカーツワイルは、「収穫加速」がこのまま続くとすると(すくなくとも現在まで変調をきたした徴候は見られない)、コンピュータの性能は今から5年後の2029年にさらに10倍になって人間の知能を超える(チューリングテストにパスして、相手が人間なのかコンピュータなのか判別できなくなる)と予測する。
コンピュータのパワーがさらに10倍(現在の100倍)になる30年代には、「自己改良型AIと成熟したナノテクノロジーによって、かつてないほど人間が機械と結合する」。シンギュラリティはその10年後の40年代(計算能力が現在の1万倍になったとき)に到来するが、それはある種の相転移で、ブラックホールが物理学の常識を無意味なものにするように、「現在の人間の知能ではこの急激な変化を理解できない」という。
とはいえカーツワイルは、人知を超えたこの変化について、次のように書いている。
いつの日かナノテクノロジーによって、クラウド上のバーチャル神経細胞(ニューロン)層と人間の脳が接続され、脳が直接的に拡張されるまでに至るだろう。こうして人間はAIと融合して、人間が本来もつ力の数百万倍の計算能力を有するようになる。これによって、人間の知能と意識は想像もつかないほど大きく拡張される。これが「シンギュラリティ」によって起こることだ。
宇宙はその始まりから6つのステージを上がってきており、人類はいま第4のステージから第5のステージへと進みつつある
カーツワイルは、宇宙はその始まりから六つのステージ(もしくはエポック)を1段ずつ上がることで、情報処理(知性)を高度化させてきたとする。各ステージは、その前のステージの情報処理から生み出されるという意味で連続しており、これが意識=知性の進化だ。
第1ステージ:物理法則と化学プロセスの誕生 陽子と中性子からなる核とそのまわりを回る電子によって原子が形成され、原子が複雑な情報を表わすことのできる分子を形成し、超新星爆発によって生命を構成する化学元素(炭素)が生成された。
第2ステージ:原始生命の誕生 いまから数十億年前の地球に、自己複製能力をもち、その集合体が原始細胞となる生命が生まれた。その後、それぞれに固有のDNAをもつ生物が進化し、広まっていった。
第3ステージ:脳の誕生 多様な生物のなかから、より多くの情報を処理し、蓄えることのできる中枢神経系(脳)をもつものが現われ、数億年を経てより複雑なかたちに進化した。
第4ステージ:テクノロジーの誕生 生物のなかでとりわけ大きな脳を進化させた人類(ホモ・サピエンス)が、パピルスからハードディスクまで、情報を蓄え、処理するテクノロジーを生み出し、脳の機能を外部化した。
第5ステージ:ポスト・ヒューマンの誕生 ブレイン・コンピュータ・インターフェイス(BCI)によって、生物学的な人間の認知能力と、デジタルテクノロジーの速度と能力が直接に融合する。
第6ステージ:汎知性の誕生 意識の進化の最終形で、すべての物質が「コンプロトニウム(演算素)」になって、わたしたちの知性があまねく宇宙に広がっていく。コンプロトニウムは「あらゆるコンピュータモデリングの基礎として使用できるプログラミング可能な物質で、仮想的な素材」とされるが、その詳細は説明されていない。
カーツワイルによれば、人類はいま第4のステージから第5のステージへと進みつつあり、それにともなって「私たちの変容が理解不能な速度と規模で進む」。それは「生物の脳をもつ人類が動物から超越した存在に変貌する」ことだ。
シンギュラリティの核となるのが脳とコンピュータを融合させるBCIで、今から20年以内に脳の機能のすべてをコンピュータにシミュレートできるようになる。
脳のエネルギー消費量にもとづく概算では、ニューロンは1秒間に0.29回しか発火しておらず、脳の計算能力は1秒間に10の13乗回だ。それをシミュレートするには、仮に10の14乗回だとしても現在の1000ドル程度のハードウェアで十分で、10の16乗回でも2032年には1000ドルで入手できるようになる。
もちろん、ニューロンの発火を模倣するだけでは主観的な意識をもつようにはならないとの反論があるだろう。ニューロンの個々のイオンチャンネルや、「脳細胞の代謝に影響を与えるかもしれないさまざまな種類の数千もの分子」もシミュレートする必要があるかもしれない。
イオンチャンネルは1秒間に10の22乗回の計算が、分子は10の25乗回の計算が必要になる。だがこの条件も、2008年当時の金額で10億ドルをかけたスーパーコンピュータなら2030年までに達成できるし、2034年までには各ニューロンのもつすべてのタンパク質もシミュレートできるとカーツワイルはいう。
意識がどれほど複雑でも、それが脳の物理学的変化から創発している以上、分子レベルでシミュレートすれば意識をもつようになる(そうでなければ、デカルトの心身二元論のように、超物理的な存在を考えるしかない)。このようにして、脳のアップロード(全脳エミュレーション)が実現したときこそが「シンギュラリティ」なのだ。