12月4日、新型コロナウイルス流行に関する米下院特別小委員会は、中国・武漢の研究所での事故がパンデミックを引き起こしたウイルスの起源だとする最終報告書を公表した。一方で、同特別小員会は下院で多数を占める共和党議員が委員長を務めており、民主党側は「ウイルスの起源や関連する知識を深められるような新たな情報はなかった」と批判している(『コロナの起源「中国研究所の事故」』日本経済新聞2024年12月5日)。
新型コロナウイルス(SARS-Cov-2。Covid-19はこのウイルスが原因となる病名で「コロナウイルス感染症2019」の略)は中国の研究所でつくられたのか、それとも自然に発生したのか。アメリカの著名な医師・医学博士で、研究者としてロタウイルスワクチン開発に携わったポール・A・オフィットの『疫禍動乱 世界トップクラスのワクチン学者が語る、Covid-19の陰謀・真実・未来』(関谷冬華訳、大沢基保監修/ナショナル ジオグラフィック)によれば、じつはこの疑問はすでに決着がついている。
日本ではあまり知られていないようなので、今回はオフィットのコロナ起源説を紹介しよう。原題は“Tell Me When It’s Over; An Insider's Guide to Deciphering Covid Myths and Navigating Our Post-Pandemic World(終わったら教えて コロナ神話を解読し、パンデミック後の世界を道案内するインサイダーのガイド)。
研究所からのウイルス流出事故は頻繁に起きている
2021年5月11日、共和党の保守派議員でリバタリアンのランド・ポールが、上院保健委員会で、アメリカのコロナ対策を主導したNIH国立アレルギー・感染症研究所所長アンソニー・ファウチに対し、武漢ウイルス研究所への資金提供はコロナウイルスの「機能獲得研究」のためではないかと追及した。ここでいう「機能獲得」とは、ウイルスを生物兵器にするために毒性を強めたり、感染力を高めたりすることだ。ファウチはこの疑惑を即座に否定したが、このときのやりとりが研究所からのウイルス流出説を広めることになった。
オフィットによれば、ランド・ポールの追及にはたしかな根拠があった。23年、膵臓外科医で公衆衛生の専門家であるマーティ・マキャリー博士は下院特別委員会で、新型コロナウイルスが中国の研究所から発生したことは「疑いの余地がない」と断言し、NIH(アメリカ国立衛生研究所)がコウモリ由来のコロナウイルスの研究のために、2014年に武漢のウイルス研究所に60万ドルの研究資金を提供していたことを明らかにした。さらに、武漢ウイルス研究所でコロナウイルスの研究責任者を務めた石正麗が、2016年にWIV1(Wuhan Institute of Virology-1:武漢ウイルス研究所-1)と名づけられたコロナウイルスを研究していたこともわかっている。
つづいて21年11月、イギリスの著名なサイエンスライターで、進化論についての著作も多いマット・リドレーが、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるブロード研究所の博士研究員アリーナ・チャンとともに、“Viral; The Search for the Origin of Covid-19(ウイルス 新型コロナ感染症の起源を探る)”を出版し、このウイルスは人工的につくられたものだと示唆した。リドレーの長年の盟友であるリチャード・ドーキンスが「起源について驚くほどよく教えてくれる。バランスがとれていて公平だ」という推薦文を寄せたこともあり、欧米では発売と同時にベストセラーになり、メディアにも大きく取り上げられた。
この本でリドレーとチャンは、「新型コロナウイルスは、フューリンと呼ばれるタンパク質分解酵素によって切断されない限り人間の細胞に侵入することができないが、新型コロナウイルスのスパイクタンパク質のフューリンによる切断部位には不自然なところがあり、研究所で作り出されたウイルスにしかこのような特徴は見られないはずだ」と主張した。
23年になると、米エネルギー省(DOE)が「新型コロナウイルスによるパンデミックは研究所からウイルスが流出したために発生した可能性が高い」という結論を出し、FBI(米連邦捜査局)のクリストファー・レイ局長はFOXニュースで、「FBIはかなり前から、パンデミックは研究所の事故が原因で発生した可能性が最も高いと考えている」と語った。ただしどちらも、なにを根拠にこのような結論に至ったかは説明していない。
実際、研究所からのウイルス流出事故は一般に思われるよりも頻繁に起きている。
2007年、イギリスでは家畜を口蹄疫から守るためのワクチンを開発していた研究所で、廃液を研究所から廃棄物処理施設まで運ぶパイプの一部が老朽化し、口蹄疫ウイルスに汚染された廃液が土壌に漏れ出す事故が起きた。そればかりかこの研究所は、口蹄疫が終息した数週間後に、政府が示したワクチン生産の再開条件を守ることができず、またもや周囲に口蹄疫ウイルスをまき散らしてしまった。
こうした例を挙げながら、イギリスの哲学者ウィリアム・マッカスキルは「制御不能な病原体の漏出は日常茶飯事といっても過言ではない」と述べている(『見えない未来を変える「いま」 〈長期主義〉倫理学のフレームワーク』千葉敏生訳/みすず書房)。
史上最悪の流出事故のひとつは、1979年4月に旧ソ連のスヴェルドロフスクにある生物兵器開発研究所で起きた。致死率の高い炭疽菌の乾燥工場で働いていた技術者が、詰まったフィルターを取り外したあと、別のフィルターと交換せず、上司に走り書きのメモを残しただけで、業務日誌に記録するのを忘れてしまったのだ。上司はメモに気づかず工場を稼働させ、フィルターのない排気口から炭疽(たんそ)菌が漏出した。風に乗って近隣の建物へと運ばれた炭疽菌によって、100人以上が死亡したとされる。
比較的危険性の高い病原体を取り扱うアメリカの研究所で発生した感染のデータによれば、1年間に250人の従業員が働くごとに1件の感染事故が起きている。ここから推定すると、旧ソ連でも生物兵器開発計画で数千件の事故が起きていたはずだ。
スヴェルドロフスクのウイルス流出事故は当局によってずっと隠蔽(いんぺい)されており、ソ連崩壊後にはじめて明らかになった。「遺伝子解析によると、推定70万人の命を奪ったともいわれる1977年のソ連かぜの流行は、研究所からの漏出やお粗末なワクチン試験によって生じたのかもしれない、という一定の証拠がある」ともいう。