いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)
とくに目標はなくてもやっていけるが……
新年または新年度に、目標を設定している人はどのくらいいるのだろうか。
「今年の目標は?」などと、とくに誰からも聞かれることがない私は、ぼんやりと「いい一年にしよう」とSNSに書くのみである。心の中では、「今年こそ大量に積み重なった本の整理をするぞ」と思ってはいる。だが、そう口に出してから早3年が経ってしまったこともあり、いまさら口には出せなくなっている。
私と同じように、うまく目標を定められていない人に朗報だ。
古代ギリシャの哲学者セネカが素晴らしい提案をしてくれている。セネカは「美徳」こそ人間が成し得ることの頂点だとする哲学「ストイシズム」を学び実践した人だ。
理想を羅針盤にする
努力を費やす対象となるもの、すべての言動の礎となるものを。
船乗りが、決まった星を目印にして進路を定めるのと同じだ。
理想のない人生は迷走する。(セネカ『ルキリウスに宛てた道徳書簡集』)
──『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
私はこれを読んで感銘を受けた。
目標=「このうえない善」という手があったか!
「ある程度の善」「そこそこの善」「中くらいの善」「今回のケースにちょうどいい善」
私たちは普段、そういった「善の範囲内にあるもの」を目指そうとしているのかもしれない。
「善の範囲内にあるもの」を目指すのは、さほど努力を必要としない。普通に生きていれば、「ぎりぎり善」あたりはいけるはずだ。だから、とりたてて目標をかかげなくてもいいと思ってしまっている。セネカはそれでは迷走してしまうと言う。
「自分がやっていることなんて、意味がないんじゃないか」と自信を喪失したり「大した成果も出せずに時間ばかりが過ぎていく」と焦燥感に駆られたり、「本当にやりたいことは何だろう」と悩み始めたりしてしまう。「明確な目標がある人がうらやましい」などと言ってみたりするかもしれない。
毎日、最上の理想をめざす
一方、「このうえない善」は、このうえないのだから、迷いが生じない。
壁にぶつかる都度、「今回のケースにちょうどいい善は何か」と悩む必要がないし、そもそも迷走しない分、壁を壁とも思わなくなる可能性もある。
しかも、毎年毎年、新たな目標を立てる必要がない。
つねに「このうえない善」でいい。
毎日、最上の理想をめざすことを習慣にすればいいのだ。最善を意識することで心がパッと引き締まり、メンタルが一気に強くなる。
私は今後、目標を聞かれるたびに「このうえない善」と答えることにした。
この目標をかかげることそれ自体が、幸せなことだと感じる。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)