いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)
つねに忙しい現代人
ぼーっとするために集まり、いかにぼーっとしているかを競う大会「ぼーっとする大会」があちこちで開催されているらしい。2014年に韓国で始まったこの大会は世界に広がりを見せ、日本大会は2023年から行われている。
ぼーっとすることすら競技になるほど、現代人は余裕を失っているようだ。とにかく、忙しい。普通に生活しているとぼーっとできない。
よく考えればこれは不思議なことである。
昔と比べて、はるかに便利になっているのは間違いない。
洗濯は洗濯機に任せればいいし、食事作りだっていろいろなチョイスがある。ミールキットを使ってもいいし、デリバリーもお惣菜を買う手もある。仕事もITの進歩で格段に速くなった。調べ物はネットでできてしまうし、会議もオンラインでやれば移動の時間がカットできる。多くの物事の時間が短縮されているはずだ。
ところが私自身、なぜか忙しい。
外から見ればぼーっとしているように見えるかもしれないが、頭の中は忙しく働いているのである。
あれもこれもしなきゃならない、間に合うか? 時間は足りるのか? 間に合わなかった場合、どのように言い訳をするのか? とシミュレーションを繰り広げている。
不安がピークに達するとスマホを開き、良い情報がないかを探す。次から次へと情報が目に入り、何を探していたのかわからなくなる。ついでに株価をチェックし、一喜一憂している。
そんな私に、「それをやめろ」と言う人が現れた。
古代ギリシャの哲学者、マルクス・アウレリスである。
不必要なことをやめる
社会生活を営むように生まれついた生き物の理性が求めることを、求めに応じて行うのだ。
そうすれば、よいことをしているという安堵に加えて、ごくわずかなことをすればすむという安堵も得られる。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
実は、これの1万分の1くらいのことを自分の息子に言ったことがある。
小学生の息子は、学校から帰って来ると、いかに宿題が多く時間が足りないかを訴える習慣がある。
「算数のプリントが2枚もあるし、漢字の書き取りが3つもある。そのうえ、今日の音読は長い文章だからかなり時間がかかる。くもんの算数の宿題は難しくて1時間はくだらないから、いまからやっても夜になってしまう。これではゲームの時間がなくなる」。こういった内容を数十分かけて訴え、なかなか宿題を始めないのである。
私は「いやいや、その文句を言っている時間がムダだから。必要なことだけやったらすぐ終わるから」と言った。
まさに、自分にそのまま言える言葉だ。
「できなかった場合にどうするか」と起きてもいない未来のことを心配したり、安心感を得ようとして情報を探し回ってより不安になったりと、不必要なことをしている時間は思った以上に多い。
さらに言えば、「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」は本当なのかという問題もある。やるべきだと思い込んでいるだけで、本当は必要のないものが紛れているかもしれない。
まずは「排除できる行動」を特定する
『STOIC 人生の教科書ストイシズム』は、マルクス・アウレリウスをはじめストア哲学者の名言を紹介しながら、現代を生きる私たちが考えたい課題を投げかけている。
上記のマルクス・アウレリウスの名言への課題の一つは次のようなものだ。
「日常的に行っているタスクや活動をリストアップし、それらの重要性や意義についてじっくりと考えてみよう。排除できるものはないか? もしあれば、リストから消す。代わりに何かに取り組もうかと考えたときに、あなたの心が躍るプロジェクトや目標にはどういうものがあるだろう?」
毎日に余裕を取り戻して、本当に大切なことに時間を使うために、こういった課題に取り組んでみてはいかがだろうか。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)