そして1967年には、東急百貨店本店が開業する(写真16)。東急本店は栄通り(現文化村通り)が分岐するY字路に建ち、渋谷駅からは400mほど離れている。離れた立地にすることで、人の回遊を生み出そうとしたのだという。
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東急本店開業の翌年、西武グループは西武百貨店を開いた(写真17)。西武渋谷は宇田川の暗渠沿いにあり、A館とB館をつなぐようにいくつもの連絡通路が道路をまたぐ立体的な構造になっている。
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さらに、1973年には西武の流通部門から派生したセゾングループにより、公園通りにパルコが開業する。キャッチフレーズは、「すれ違う人が美しい―渋谷―公園通り」。セゾングループは近隣の通りに「スペイン坂」や「ペンギン通り」などの愛称をつけ、街全体を舞台として演出した。
こうした西武グループの攻勢を受けて東急が建設したのが、SHIBUYA109である。ポストモダン建築の旗手と目されていた竹山実によって設計され、道玄坂と東急本店通り(現文化村通り)のY字路を飾る渋谷の顔となった。
東急と西武の施設立地を比較すると、東急が目立つY字路を押さえているのに対して、西武系の施設はいずれも十字路にある(図13)。これは、戦前から渋谷に進出していた東急が、谷筋の大通りである文化村通りを回遊の軸としたのに対し、1960年代末以降に進出した西武は、台地に上がる坂を空間演出の装置として活用した、という来歴の違いから説明することができる。強引にまとめるなら、Y字路の東急、高低差の西武、ということになろうか。
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