「100年に1度」の渋谷再開発で
宮益坂Y字路にも新施設計画

 渋谷は谷の街である。と同時に、Y字路の街でもある。宇田川によってできた谷筋には、川の付け替えや新道の開通によっていくつものY字路ができた。そして、谷から台地に上がる地点には、麗郷や奥渋谷のW字路のようなマニアも唸る立体Y字路が形成された。

 ターミナル駅前の盛り場である渋谷のY字路は、「そこを誰がどう使うのか」というせめぎあいの舞台にもなった。道玄坂の「エネルギッシュな三角地帯」には闇市が展開し、SHIBUYA109が建設されたのちも玉久ビルとして残り続けた。

 戦前から戦後にかけて渋谷の開発を主導した東急は、Y字路を上手く活用することで、渋谷駅から東急本店へと至るルートをデザインした。渋谷モディや宮益坂‐金王坂のY字路にはデジタルサイネージが設置され、「広告都市」東京の喧噪をつくり出している。

 現在、渋谷では「100年に一度」の枕詞で大規模な再開発が進められている。その中でも最大規模の開発である「Shibuya REGENERATION Project」では、金王坂付近の3つの街区での開発計画が立てられている(図14)。

「渋谷109」はなぜ街の顔となったのか?東急はY字路、西武は十字路を押さえた深いワケ図14 Shibuya REGENERATION Projectの予定地(同書より転載)

 このうち、宮益坂‐金王坂のY字路にあたるA街区には、図15のような奇抜な建物が計画されている。A街区の建物は地上5階が予定されており、屋上からは青山通り(国道246号)を見通すことができるのだという。

「渋谷109」はなぜ街の顔となったのか?東急はY字路、西武は十字路を押さえた深いワケ図15 A街区の外観(第19回東京都都市再生分科会配布資料を同書より転載)

 ここにおいて、Y字路の角が持つ意味合いは転倒している。これまでY字路は「見られる」ものであったが、A街区においては「見る」場所として位置づけられている。

 見る、見られる、見せる、見せられる。渋谷のY字路では視線が交錯する。Y字路は欲望の交差点である。再開発は渋谷をどう変えるのだろうか。願わくば、「残余」を許す街であってほしいものだ。

「渋谷109」はなぜ街の顔となったのか?東急はY字路、西武は十字路を押さえた深いワケ『Y字路はなぜ生まれるのか?』(重永 瞬、晶文社)