人間の世界ではクローンはSFの世界の話だけれど、農業ではクローンは当たり前の技術だ。ジャガイモだけではない。イチゴやサツマイモ、ミカンやリンゴなど、さまざまなものがクローンで殖やされている。

 その気になれば、人間のクローンだって作ることもできる。

 たとえば、私のクローンをたくさん作って、私だけの世界を作ったらどうだろう。

 そうすれば、すべて私の思い通りになるし、私が考えたことは、みんなが賛成する。お互いに考えていることもいっしょだから、行き違いになることもないし、ケンカすることもない。そんな理想の世界が作れるのではないだろうか……。

 そして私は、そんな理想の世界の大統領になるのだ。

 しかし、待てよ。と私は思い直した。

 私のクローンだけで作られた世界ということは、その世界のすべてのことは私がしなければならないということだ。

 フランス料理のシェフも、中華料理の料理人も、寿司屋の大将も、ケーキ屋のパティシエも、みんな私だ。

 手先の細かい仕事も、力仕事も、技術が必要な仕事も、頭を使う仕事も、アイデアが必要な仕事も、すべての仕事は私の能力に掛かっている。

では、もし世界全員が
「エリート」のクローンだったら?

 世の中にはたくさんの仕事がある。

 私だけの世界は、すべての会社の社長は私であるし、その会社の社員もすべて私である。つまり、総務も経理も、企画も営業も製造もすべて私がこなすということだ。

 警察官も私だし、学校の先生も私だ。家を建てるのも私だし、道路を作るのも私だ。電気もガスも水道もすべて私の能力で維持しなければならない。

 いやいやこれは、大変そうだ。

 そもそも私のような平凡な人間でクローンで世界を作ろうとしたことが間違いなのだ。

 私よりも、もっと優れた人であれば、どうだろう……。

 しかし、それも難しそうだ。

 どんなにパーフェクトな人がいたとしても、やはり得意と不得意はある。あるいは、好きなことと嫌いなことがある。この世界のすべての仕事をこなせるような超人はいないだろう。

 金太郎飴のようなクローンで作る社会は、何だかあまり幸せそうではない。

もし全人類が「エリート」のクローンなら世界は幸福なのか?農学博士による「そりゃそうだ」と思える納得の答え『遺伝子はなぜ不公平なのか?』(稲垣栄洋、朝日新聞出版)

 そういえば、アイルランドのジャガイモだって選び抜かれたエリートのジャガイモのクローンだった。

 やはり、多様性のないクローン人間の社会は、アイルランドのジャガイモと同じように、みんなで滅んでしまいそうだ。

 やっぱり、さまざまな人がたくさんいないと社会は成り立たないのだろうか。

 そして……、これが、「個性」の役割なのだろうか。