
農学博士である著者が学生たちにお米の味比べをしてもらったところ、彼らが選んだのは、米のプロが評価する「おいしい米」ではなかった。その理由は、農業が近代化しイネが計画的に栽培される中でお米が「見た目」で評価されるようになり、多様性が失われたことに起因しているのだという。本稿は、稲垣栄洋『遺伝子はなぜ不公平なのか?』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
自然界では重要だが
「多様性」は厄介で管理しにくい
人間は本来、多様な存在である。
しかし、私たちは、多様なものを理解することはできない。そこで私たちの脳は、そろえたり、並べたり、比べたりしたがる。
それが人間の脳の性分だ。
しかも、私たちが「社会」というものを作り上げたとき、そのことはとても便利だった。
何が便利だったかって?
それは「管理する」のに、とても便利だったのだ。
人間の世界で起こっていることは、農業で起こっていることを考えるとわかりやすい。
農産物は、もともと植物である。
野菜や果物も植物だし、米や豆も、元をたどれば植物の種子だ。
植物は、生き物だから多様性を持っている。何が起こるかわからない自然界を生き抜く上では多様性が重要だからだ。
自然界の生物にとって「多様性」は重要である。
ところが、「多様性」があると人間は扱いにくい。
たとえば、野生の植物であれば、熟す時期をずらすことは大切なことだ。もし、一斉に熟せば、そのときに何か事故があれば全滅してしまう。そのため、早く種子が落ちたり、遅く種子が落ちたりして、バラツキを生み出すことが大切なのである。
しかし、人間が管理するイネでは、熟す時期がずれると困る。一斉に稲刈りをすることができないからだ。
実際に、日本に稲作が伝わったばかりの頃は、イネは早く熟す株や遅く熟す株があって、バラついていた。そのため、人々は石包丁という石器を使って、熟した稲穂から順番に収穫していたと考えられている。
しかし、それでは不便なので、改良に改良を重ねて、多様性を失わせて一斉に熟すようにした。こうして、そろえることによって、人間は一斉に稲刈りをすることが可能になったのである。
多様性は大事だが、管理する上では多様性はない方が良い。
こうして、イネは多様性を失ったのである。
お米を評価するようになったことで
イネの多様性が失われた
それでも、江戸時代くらいまではさまざまな品種が栽培されていた。イネは品種ごとにはそろっていて、1つの田んぼの中では均一なイネが栽培されていたが、田んぼごとにさまざまな品種が作られることによって、多様性が保たれるようになったのである。
ところが、農業が近代化される中で、イネの多様性は急速に失われていった。
どうしてだろう。
答えは簡単だ。お米を評価するようになったからである。
お米を評価すれば、良い品種と悪い品種を区別することができる。そうなれば、みんなが良い品種を選んで栽培するようになる。それは当然のことだ。
その結果として、品種が厳選されて、多様性は失われていった。