
科学技術が進歩し、イチゴやサツマイモ、ミカンやリンゴなど、農業の世界ではさまざまな品種がクローンで増殖できる時代。そして理論上は人間のクローンを作ることだって可能だ。それでは、この世界に住む全員が、選び抜かれたエリートのクローンだけになれば幸福で素晴らしい世界になるのだろうか?19世紀のアイルランドで起きた「ジャガイモ飢饉」を例に、「多様性」の本当の意味を農学博士が解説する。本稿は、稲垣栄洋『遺伝子はなぜ不公平なのか?』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
国中のジャガイモが壊滅!
大惨事が起きた理由とは
個性とは何だろう?
そして、どうして個性が必要なのだろう?
そう考えて、思い出したのは、昔むかしに起こったというジャガイモにまつわる事件である。
19世紀のアイルランドでの話である。
寒冷でコムギが育ちにくい当時のアイルランドでは、ジャガイモが重要な食料となっていた。
ところが、あるとき、歴史的な事件が起きる。
ジャガイモの疫病が大流行をして、アイルランドで栽培されていたジャガイモが壊滅状態になってしまったのである。
これが、「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる事件である。
このとき、生活に困窮したアイルランドの人々は、食べ物や仕事を求めて、祖国を離れ、開拓地であったアメリカ大陸に渡った。
それまで、ヨーロッパから遠く離れた新天地であったアメリカに渡った人々は、一攫千金を狙う人たちや、わけあって祖国にいられないような荒くれ者たちが多かった。ところが、このアイルランドの大飢饉によって、大勢の「普通の人たち」がアメリカに移民としてやってきた。
この事件によって、普通の国としての礎が築かれ、大勢の移民の人たちの努力が、大国として発展していくアメリカ合衆国を創り上げていったのである。
そのためジャガイモは、「アメリカ合衆国を作った植物」と言われることもある。
それにしても……どうして国中のジャガイモが壊滅してしまうような大惨事が起きてしまったのだろう。
その原因こそが「個性の喪失」にあったと言われている。
ジャガイモは南米アンデス原産の作物である。
コロンブスの新大陸発見以降に、世界中に紹介されていった。
選抜されたエリートの芋が
疫病に弱いという落とし穴
ジャガイモは、芋で殖やすことができる。
芋で殖やすことのできるメリットは、芋で殖やせば元の株と同じ形質の株を栽培することができるということだ。
タネは、元の株とは親子の関係になる。親子は似ていることが多いが、親とまったく同じではない。親とは似ていない子も存在する。
ところが、芋は違う。
もし、優れた株があれば、そこからとれた芋を植えていけば、優秀な株を殖やすことができる。芋がたくさんできる株を選んで、その芋を植えれば、芋の収量は多くなる。
こうして、アイルランドでは、収量の多い優秀な株を殖やして、国中で栽培していたのである。
収量が多いジャガイモの品種は、ジャガイモの中のエリートである。
こうして、エリートの芋が選抜されて、殖やされていったのである。
ところが、である。
エリートとしての優秀さの尺度は、「収量が多い」という基準のみで評価されたものでしかなかった。