
「健常者」に比べて日常のあらゆる場面でつまずきやすく、生きにくさを感じがちな「障害者」。遺伝的に考えれば生存戦略において不利な存在にも思えてしまう。だが、農学博士である著者は、そもそも「健常者」とは人々が築き上げた幻想に過ぎず、遺伝子疾患と呼ばれる人たちは、進化のチャレンジャーではないかと説く。本稿は、稲垣栄洋『遺伝子はなぜ不公平なのか?』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
「発達障害」の人々が持つ
一般人よりも優れている能力
『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』というフランスの海外ドラマがある。
ラファエルは熱血漢のパリ警視庁の女性警視である。パワフルな捜査が魅力だが、おおらかで粗雑な面も持ち合わせている。これに対してアストリッドは、自閉スペクトラム症で、パリ犯罪資料局の文書係として、文書資料室にこもっている女性である。しかし、鋭い観察力と洞察力で、他の人たちが気づかない細かいところを見逃さない。そして、アストリッドとラファエルが名コンビとなって、事件の謎を解き明かしていくのである。
対人関係や社会生活がうまくいかない自閉スペクトラム症は「障害者」のレッテルを貼られることが多い。しかし、このドラマでは、自閉スペクトラム症は一般の人間が持たない優れた能力を持つことを、明確に教えてくれる。自閉スペクトラム症のアストリッドは、ラファエルなしにはできないことが多い。しかし、事件の謎を解き明かす過程では、むしろ、アストリッドの繊細さが熱血漢の警視の荒々しさを補っていく。
自閉スペクトラム症の人は対人関係が苦手だが、その代わり、天候を観察したり、まわりの動物の動きを察知する。
私たちの祖先がまだ弱い存在だったときに、自閉スペクトラム症の人がいる集団は、自然災害や外敵の襲来などの危険をいち早く察知して、身内どうしの交流ばかりに気を配っている集団よりも、生き残る可能性が高かったのかもしれない。
あるいは、ADHD(注意欠如・多動症)と呼ばれる人たちもいる。集中力がなく、注意力が散漫で、落ち着きがないという人たちだ。学校でじっとしていることができず、授業中にも歩き回る。しかし、学校生活になじめなかったエジソンやアインシュタインなどの偉人たちは、じつはADHDだったのではないかと考えられている。
「障害者」と「健常者」のボーダーは
社会が築いた幻想にすぎない
注意力が散漫だから、あらゆるものに好奇心がある。他の人たちが何かに集中しているときに、群れに迫る危険を察知したり、他の人が気づかなかったりする道具やエサ場を見つけ出すことができたかもしれない。
私たちの祖先がまだ弱い存在だったときに、ADHDの人がいる集団は、有利に生き残ることができたのだろう。