いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

私はA先生に「会った」と言えるか?
ライターという職業柄、第一線で活躍している著名人に話を聞くことが多い。毎回、真剣に話に耳を傾け、理解しようと努めているつもりだ。そして、その人の話したことを時間をかけて文章にする。何度もそれを繰り返しているうち、ある著名人が自分に乗り移っているような気になることさえある。
「こういうとき、あの先生ならこう言うだろう」と自然に考えたりするのだ。
ここで、何度か取材をさせてもらった先生を、A先生としておこう。
「え~っ、私、A先生の大ファンだよ! いいなあ、A先生に会ったんでしょ?」
友人にこう言われたとき、私は「まぁ……」と曖昧に答えた。
私はA先生に「会った」と言えるのだろうか。
確かに対面で何時間も話を伺い、リアクションをしたり、質問をしたりはした。しかし、堂々と「会った」と言うのは何かはばかられる。
なぜか。
私は自分の意見の表明をしていないからだ。
「先生のお話はこういうことだと理解しました。私はこう思います」のような対話はしていない。人一倍リアクションをしている自信はあるが、自分の話はしていない。
だから、A先生にとっては「小川さん? 誰だっけ? そういう人としゃべったような気もするなぁ」という感じだろう。取材に来る人は私だけではない。入れ替わり立ち替わり、いろいろな人が来ているのだ。
相手を深く知る
わたしの意見を知ろうとし、あなたの意見をわたしに示したなら、わたしに会ったと言えばよい。(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
好かれる話し方のアドバイスとして、「相手の話を聞くこと」とよく言われる。
しかし哲人エピクテトスは、さらに踏み込み、自分の意見も言葉にしてしっかりと対話をすることでこそ、本当に「会った」と言えると説く。お互いに理解し合うことで、初めて関係は近づくのだ。
実際、相手がいかに著名な人であっても、シチュエーションによっては私も自分の話をたくさんすることがある。
そんなときは、確かにお互いを知ることができた実感を持てる。
そういう相手とは本当に「会った」と言うことができる気がする。
これはとても嬉しい。
哲学者と対話する
もう一つ、付け加えたいことがある。
私はこのエピクテトスの言葉を読んだ瞬間、次のような希望を感じた。
「エピクテトス先生に会った、といつか言えるようになるかもしれない」
もちろんエピクテトスは2000年以上も昔の人で、タイムマシンでもない限り直接会うことはできない。
しかし、いま私はエピクテトスの意見を理解しようと努め、原稿を通じて自分の意見を表明しようとしている。
本を読んで理解したつもりになるのではなく、自分はどう思うのかを考え、言葉にする努力を続けている。
エピクテトスの話は深く、まだまだ理解が及ばないが、内面で対話を続けていれば、いつか「会った」と言えるようになるかもしれない。
そういう意味では、本書はエピクテトスをはじめ古代ギリシャのストア哲学者たちと「会う」ためのしかけがある。一つひとつの名言に対し、自分の考えを深めて書き出すための問いが用意されているのだ。
ぜひ、あなたも自分の考えを表明し、古代の哲人たちと対話を深めてほしい。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)