私たちは、現実そのものを生きているのではなく、現実が自分にとって持つ意味の世界を生きていると言ってよいでしょう。その意味を決めるのは本人自身なのです。
ある企業で働く人たちを対象に意識調査をした際に、とても興味深いことがわかりました。同じ職場で同じ業務を担当していても、給料が安いとか残業が多いとか仕事にやりがいがないなど不満だらけの人がいる一方で、お客さんから直接反応があるからやりがいがあるとか自分の成長につながっていると感じるなど満足感を示す人がいるのでした。やっている仕事の内容そのものが仕事への満足感を決めるのではないことが明らかです。
このように、現実の持つ意味というのは、結局のところ本人が感じ取るものなのです。職場の客観的な労働条件や業務内容そのものではなく、それらを本人がどう受け止めるかによって、仕事の持つ意味が決まってくるのです。

そこで覚えておきたいのは、私たちは身に降りかかる出来事を自在にコントロールすることはできないけれども、個々の出来事の持つ意味は自在にコントロールすることができるということです。
人生を振り返るとき、よい出来事ばかりでなく、学生時代の勉強面や部活等での挫折、友人関係の葛藤、恋愛関係のもつれ、仕事に就いてからの仕事がらみの挫折、家族間の葛藤、経済的な困窮、自分自身や家族の病気や事故など、思い通りにならなかったさまざまな出来事が思い浮かぶものです。
問題はそれらをどう意味づけるかです。それぞれの思い通りにならなかった出来事からどんな意味をくみ取るか。それによって過去の風景が決まるのです。