いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

頭の悪い人がやっている「SNSの悪習」ワースト1Photo: Adobe Stock

なぜ嫌いな人のSNSを見てしまうのか?

 嫌いな人のSNSを見に行くのがやめられない、という悩みを持つ人はけっこういるようだ。Q&Aサイトなどを見ると、そういった悩み相談が多く投稿されている。

 見れば不快になるのがわかっているのに、わざわざ見てしまう。

「今日はいったいどんなムカつく投稿をしているんだろう」とチェックし、想定通りの内容を確認して「ありえない!」と憤っているのだ。あるいは、「なんでこの人ばかり幸せそうなんだ」と落ち込む。いずれにしても心を乱されており、それに悩んでいるのである。

 そういう人へのアドバイスとして、「見なければいい」というものがある。

 見れば不快になるわけだから、見なければ不快にならない。単純な話だ。それなのに見てしまうというのは頭の悪い行動ではある。

 しかし、本人もそんなことはわかっているだろう。見たくないのに見てしまうから悩んでいるのだ。なぜ見てしまうのだろうか?

自尊心を保とうとして損なっている

 一つの仮説として、「自尊心を保つため」という理由が考えられる。

 嫌いな人は、おそらく自尊心をおびやかす存在なのだ。たとえば、自分が本当はやりたいと思っていることをやって成功しているとか、自分のことをバカにしているように感じるとか。「自分、サイコー!」と思うのを邪魔するような存在。

 だから、そういう邪魔な存在を監視して、その人がひどい目に遭うのを目撃したいし、「やっぱりイヤなヤツだ」と思い続けられるようにしたい。そのことによって自尊心を回復したり保ったりしたいのではないか。

 自尊心はめちゃくちゃ大事なのだ。

 でも、残念ながらこの方法はあまりうまくいかない。嫌いな人のSNSを監視していても自尊心を守れるわけではなく、むしろ損なってしまうおそれがある。嫌いな人のことを意識し続けている状態は幸せとは言い難い。

内なる砦を守る

 古代ギリシャの哲学者、エピクテトスはこう言っている。

感覚から得られる印象に目を光らせ、不断の注意を払いなさい。
なにしろあなたが見守っているのは些末なものではなく、自尊心、誠実さ、揺るぎなさ、そして情熱や苦痛や恐れや混乱に乱されることのない心の状態――いわば、自由なのだから。
そういうものと引き換えに、あなたは何を得ようというのか?
いったい、その得たいものにどれほどの価値があるのか?
(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

 あなたがいま感じているものは、あなたの大事な自尊心を傷つけるものか、そうでないか。注意を向けろと言っている。

 心に砦があるとしよう。

 砦には門番がいる。

 商人がやってきて取引を持ちかけるとき、門番はよく考えなくてはならない。

「大嫌いな〇〇さんの情報を持ってきましたよ。さぁ中に入れてください。損はさせません。だって、〇〇さんの情報は何でも確認したいのでしょう? かわりに、心の平静をちょっといただければけっこうです

 あなたの門番はどうするだろうか?

 これは、「見たくないものを見ない」のとはちょっと違うと思う。「あなたの自尊心を一番に考えて判断しなさいよ」ということだ。

 砦の中の平和を守れるなら、情報を中に入れてもいいかもしれない。嫌いな人のことであっても、建設的なヒントを得られる可能性はいくらでもある。だが、いまは危険だと思ったら、追い返したほうがいい。自尊心を守り、自由な心を持つことほど大事なものはないからだ。

 エピクテトスは、多くの人が砦の中を守ることを軽視していると注意喚起しているのではないだろうか。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)