いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

「暗いヤツ」と言われていた子ども時代
小学生の頃、「暗いヤツ」とよく言われていた。
見た目が地味であるうえ、引っ込み思案で本ばかり読んでいるからだ。仲のいい子とはおしゃべりをするけれど、集団の中では積極的に「聞いて聞いて!」という感じになれない。
これは生まれ持った性質なんだろう。人に気軽に話しかけたり、大きな声ではしゃいだりすることがどうも苦手なのだ。だからといって物事をネガティブにとらえているわけではなく、物事の良い面を見つけ、楽しむことは得意だった。一人でいても、面白いものは面白い。
だが、とくに1980年代は「みんな明るくあるべき」のような圧があったように思う。積極的で、冗談を言って周りを笑わせるような人こそスターだ。小学校の教室の壁に貼られた、クラスメイトたちの自己紹介文にはやたらと「性格は、明るいです」「明るいほうです」と書かれていた。「ほうです」って。ちょっと無理していないか。
無理して明るく振る舞ったが……
そんな中で「暗いヤツ」と正面切って言われるのは、まぁまぁキツイ。もっと明るく振る舞ったほうがいいんだろうなと思った。
それで、瞬間的に無理してみたことは何度もある。それで何か変わったかというと、何も変わっていない。ただ、猛烈に恥ずかしかった。恥ずかしいという記憶だけが残っており、周囲の反応は覚えていない。たぶん、スルーされたんだろうと思う。
それでわかるのは、実は周囲も「明るい私」を望んでいなかったということである。実際、クラスみんながパリピだったら困る。
職場の人間関係のプレッシャー
学校に限らず、職場でも「人間関係」の悩みは尽きない。合わない性格の相手もいるかもしれない。「もっと明るく振るまわなきゃ」「もっと外向的に振る舞わなきゃ」など、さまざまなプレッシャーを感じる場面があるだろう。
しかし、人には生まれ持った性質があり、その人に合った表現方法がある。活発に動き回って人と話すことが合っている人もいれば、静かに考えじっくり文章にするのが合っている人もいる。
古代ギリシャの哲学者セネカも、「自分の適性を理解して、それに合ったことをしたほうがいいよ」と言っている。
「適性」に沿って行動せよ
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
セネカはストア派の哲学者である。ストイシズム(ストア哲学)は、人がよりよく生きるには美徳に則した行動をとることが大事だと説いている。美徳とは内面の素晴らしさのことで、最高の自分となるよう努力せよということだ。
そして最高の自分になるには、適性に合うことをしたほうがいいと言っている。不向きなことをすれば余計な苦しみが生まれてしまう。
人間関係も同じだ。無理に本来の自分とは異なる人格を演じつづけたところで、それに見合うだけの良い変化が得られるとは限らない。むしろ疲弊したり、人間関係が不自然になったりするリスクもある。
本来の自分でいることを受け入れ、自分らしさを大切にしたほうが、結果的に健全な関係を築きやすくなる。
自分を偽るような努力は「ストイック」ではない。ストイックな生き方は、自分を知り、自分に合ったやり方でたゆまず努力をすることなのだ。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)