テクノロジーが進歩すると、レプリカント(生きている人のレプリカントも)はさまざまな体や体型を選べる。最終的なレプリカントは、元の人間のDNA(それが見つけられるとして)から培養した生物学的肉体に、人工頭脳学で強化した脳を収納したものになるかもしれない。

 そしてナノテクノロジーが分子スケールのエンジニアリングを可能にしたときには、生物学が許す以上の進んだ人工的な肉体をつくれるようになる。その時点で生き返らせた人々は、<不気味の谷>を超越するだろう。少なくともそのレプリカントと交流した多くの人が不気味とは感じない。

レプリカントが問い直す
魂・意識・社会のルール

 そのような存在は社会にとても深い哲学的問いを投げかける。その答えは、魂や意識、アイデンティティといった概念に関するあなたの形而上学的信念によって異なってくる。

「あなた2号」は意識をもつのか?→「AI研究の世界的権威」の答えが正論過ぎて、ぐうの音も出ない『シンギュラリティはより近く 人類がAIと融合するとき』(レイ・カーツワイル著、高橋則明訳、NHK出版)

 このテクノロジーで愛する故人を復活させた人は、そのレプリカントと話をして満足するだろうか?あなた2号は生きている人間の脳から全データをアップロードするのに対して、レプリカントはAIとデータマイニングでつくるのだが、両者はどれだけ違うのだろうか?ユージニア・クイダとロマン・マズレンコのエピソードが示すように、初期の形のレプリカントでさえも慰めや癒しを与えられる。

 それでも、私たちが最初にこれを経験するときにどう感じるかは予想できない。このテクノロジーが普及するにつれて社会は適応していくはずだ。故人のレプリカントをつくってよい者や、その利用方法は法律で定められるだろう。AIがレプリカントをつくるのを禁止しろと主張する者もいれば、生きているうちに自分のレプリカントをつくろうとし、その作成過程にみずから参加して、細かい要望や指示を出す者もいるだろう。