部活動という「社会の富」の商品化がまさに今、進められようとしている。

貧弱な教育観が招く
教職の超合理化

 さらには、貧弱な教育観のもとで進められる官民連携は、教職の超合理化と学校の塾化を招く危険性がある。確かに官民連携で教員の仕事量は削減されるだろう。しかし、やみくもに教員の仕事を減らせばよいわけではない。

 今日のテスト至上主義の流れの中で教員の仕事削減を行えば、全国学力テストで測ることのできる「学力」と関係のない仕事から削減されていくのは目に見えている。

 部活の外部委託に始まり、修学旅行、運動会や合唱コンクールなどの学校行事、そして生徒会活動や進路指導が外部委託もしくは廃止され、「学校警察連携制度」の名の下に、生徒指導さえもが学校業務から完全に切り離される日が来るかもしれない。

書影『崩壊する日本の公教育』(集英社新書)『崩壊する日本の公教育』(集英社新書)
鈴木大裕 著

 教職の超合理化が進み、ますます主要教科のテスト対策以外の、教育的に必要な「余白」は消え、学校の塾化が進むだろう。塾とは異なる学校の役割は、本当にないのだろうか。

 日本に先駆けて教育の数値化と学力標準テストによる教育現場への結果責任の追求を続けてきたアメリカで、公立学校の民営化とAIの導入による授業の自動化が加速したのは決して不思議なことではない。

 人間の教育を数値化し、「学力」を国語と算数のペーパーテストで測れる能力に閉じ込め、教育現場に「結果」責任を求める中で効率性と生産性を追求するならば、すでにそのノウハウを持っている塾やAIの技術に任せた方がよいのだ。

「教員のため」という名目で、学校業務のスリム化と「生産性」の向上を求めれば求めるほど、教員の職が奪われていく…。こんな皮肉があるだろうか。