サッカーをする男性写真はイメージです Photo:PIXTA

「教員の労働環境を改善する」の美名のもとに、部活動を学校外に「移行」する動きが強まっている。だが、そうした勉強以外の活動をアウトソーシングする思考は、子どもを社会化し人間として成長させる場としての学校を破壊するものではないだろうか。※本稿は、鈴木大裕『崩壊する日本の公教育』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

現在の政府の政策は
部活動の「民営化」に過ぎない

「中学校に入ったら何の部活に入る?」そんな会話が過去のものとなりつつある。

 私が子どもの頃は、中学校に上がれば運動系や文化系のさまざまな部活があって、誰でも自分が選んだ部活に入れるのが普通だった。その意味で部活動は、分け隔てなく与えられた子どもたちの「権利」だった。

 ただ大事なのは、その権利を保障してきたのは政府ではなく、教職員だったということだ。

 政府は部活動を学校教育の中に位置づけておきながら教育課程外に置き、それを無理なく賄うための予算と人員を配置してこなかった。部活動は学校が行うものであり、やりたい生徒たちもたくさんいる。

 それをほぼボランティアで、しかも時には専門外の部活動を、時間外労働や休日出勤など、政府も認めるほどの「献身的な勤務」で無理やり成り立たせてきたのは教職員だった。

 しかし、いざ教職員の過剰労働が社会問題化すると、教職員に対するこれまでの搾取を放置してきた政府は、まるで知らなかったかのように教育委員会や学校に対して「業務改善」を命じ、「部活動ガイドライン」を設けて教育委員会や学校に持続可能性の観点から運動部活動の抜本的な改革を求め、しまいには部活動を「地域移行」して民間のスポーツクラブなどに委託することを決定した。

 まず政府は、部活動の運営にこれまで必要な人的・経済的投資をしてこなかったために搾取を強いてきた教職員に謝罪するところから始めるべきではないのか?