「手術は成功です」に安堵
しかしさらに問題が勃発!?

 午後3時過ぎ、手術が始まりました。ほどなく麻酔科のスタッフさんがきて、「廣田は今日非番でしたが、今手術室に入りました」と知らせてくれました。

 私が「お隣の」と言ったばかりに、お休みの日なのに出てきてくださったことに深く感謝しました。緊張感漂う中にキビキビと動くスタッフの方々も含めて、皆さんが総力をあげて取り組んでくださっていることが心に染みます。

 手術の終了予定時間は午後9時のはずでした。ただ、その間に不測の事態が起こるとそこで全ては終了と説明されていましたので、待合室に案内された私たちは、みな無言でした。

 午後7時過ぎに突然待合室のドアが開き、看護師さんが部屋に入ってきました。「ダメだった!?」と思った瞬間に、「終わりましたよ。手術は成功です」。

 重苦しい空気のなかで、安堵ともつかないため息がでました。

 ICUに運び込まれた夫の体には、たくさんの管が繋がれています。その側で、私たちは、医師から伝えられた内容について話していました。

「右足も動かなくなるのかな……」と私が口にした途端に、夫はぐいっと右足を動かしました。その様子をみると、私たちの話の内容は聞こえていたと思います。

 しかしそれから浮腫がでてきて、夫はずっと眠り続けました。手術が終わったその日だけ、私は大学病院への宿泊許可がおりました。その後は一度も宿泊許可が出なかったので、完全看護の大学病院で宿泊の付き添い許可が下りるということは、それほど命が危ないのだということだったのかもしれません。

あと数ミリ腫れたら…
消えなかった命の炎

 顔がどんどん腫れていく夫のそばで、私たちは黙って時を過ごしました。機械音に囲まれながら過ぎゆく時間は、彼が60年かけて築き上げてきたものが失われていく時でもありました。「せめて、側にいたい。とにかく助かってほしい」。

 重い話が続きます。手術の翌々日、主治医の中野高広先生からの詳しい病状説明がありました。私たちの方に向かって歩いて来られる先生の姿を見ただけで、「もしかしたら相当悪いのかもしれない」と思いました。