
ある日突然、夫が脳梗塞を発症。一時は深刻な容体だったものの、必死の祈りが通じてなんとか一命を取りとめることができた。その後の医師の診断は「二度と歩くことも話すこともできないだろう」。しかしそこから、夫は脅威の回復を見せたのだった――。本稿は、北原かな子『夫の脳梗塞から一六年「あきらめない」をやり通す:家族ならではのリハビリの記録』(ミネルヴァ書房)の一部を抜粋・編集したものです。
「脳梗塞を起こしている」
明け方の黒い予感は的中
3月15日(編集部注/2008年)の朝。明け方4時過ぎに目が覚めました。何か黒い予感というか、とにかく空気が暗く重いのです。
いつもだと、午後に様子を見にいくのですが、その日は朝7時になるまで待ちきれず、朝早く娘と2人で病院に行きました。病室に入った時に目に入ったのは、昨日までとはまるで違う夫の姿でした。
「パパ?」。
呼び掛けても返答はありません。どうみても様子がおかしい。目の動きもおかしいし、焦点が合いません。「いや、ここはICUだよね?ICUの中で様子が急変するってあるものなの?」。しかも誰もそれに気がついていない。不安が加速します。
急いで看護師に伝えましたが、どうも意図が伝わらない。実際に夫の様子を見ても、「大丈夫じゃないですか~?」。
どう見てもおかしいと思うのですが、結局、担当の先生が出勤するまで待つことになりました。先生は夫の様子を見たとたん、「脳梗塞を起こしている可能性がありますね」と一言。明け方の黒い予感は的中しました。
それから弘前大学医学部附属病院に救急搬送されるまでの間のことを、私はほとんど覚えていません。CTの結果に基づく先生の説明は、私たちの心情に配慮しながら丁寧に今の状況を説明してくださっていました。
(1)心臓から大きな血栓が飛んで左の頸動脈で詰まり、重度の脳梗塞を発症した。
(2)大きな血管が塞がれているので、脳に血流がいかず、左脳の広範囲が損傷する。
(3)手術をしても、命をつなげるかどうかは分からない。
(4)意識を取り戻すための手術ではない。
(5)仮に手術に成功しても、普通の人間としての生活は望めない。
「命さえあればなんとかなる」
この思いに縋り付く
今読んでも相当深刻な内容ですが、私自身はわけがわからないので、「とにかく命は助かるのか」という、その一点に意識が集中しました。「命がある」と「命がない」の違いは越えようもない大きな分岐点であり、私の中では「命さえあればなんとかなる」という、ただその思いに縋り付いていました。