素人の印象なので、こうした状況を、医療のプロはどのように判断するのかは分かりません。あるいは脳の障害で感情のコントロールが効かなくなったということだったのかもしれません。しかし家族から見たら、一挙に蘇ってきた何かで、泣き崩れたようにしかみえませんでした。

 大野雅二先生が誰なのかを理解していない限り、この行動はありえるものではないと思います。左脳をなくし、言葉も何も理解しない「生きる屍」の涙ではなく、間違いなく北原晴男本人としての感情表出だったと今でも思っています。

 大野先生は翌日私に連絡をくださり、「1年後にまたくる」と約束して帰られました。そして、約束通り、1年後の4月22日にまた弘前にきてくださいました。

 その時私は、夫とともにJR弘前駅まで迎えに行きました。杖をついて、歩いて駅に出迎えた夫の姿を見て、大野先生は感無量の表情を浮かべてくださいました。

JR弘前駅前を歩く大野先生と夫同書より転載