病室に入った大野先生を見た瞬間、夫の表情はガラリと変わりました。明らかに大野先生だと分かったのだと思います。なんとかして話をしようと声を出すものの、言葉になりません。大野先生はベッドのそばに来て言葉をかけてくださいました。
「北原君、がんばれ。人生万事塞翁が馬だ。つらいだろうが、これからどういう幸運があるかもわからない。がんばれ」。
夫は俯き加減で、先生の言葉にじぃーっと耳を傾けていました。その姿はいつもの彼の雰囲気そのままでした。
しばしの時が流れ、先生が帰られようとしたとき、夫の顔がゆがみました。私は大野先生を弘前公園までご案内するつもりだったのですが、夫の様子が気になり、1人で行って下さるようお願いしました。
大野先生が病室から去る姿をなんとも言えない目で見つめていた夫は、それまでこらえていた感情を吹き出すように、大きな声を出して泣きだしました。
異変を察した病棟の看護師さんたちが駆けつけて、懸命に夫の体をさすり、慰め励ます言葉を尽くして語りかけてくれていました。この光景はいまでも私の脳裏に焼き付いています。
「刺激を与える」ことの
重要さを目の当たりに
この件があり、あらためて私は「刺激を与える」ことの重要さを意識し始めました。大熊先生をはじめとした脳外科の先生たちは、「刺激を与えるように」とよく声をかけてくださいました。
だから私たち家族も、夫が好きな音楽を聴かせたり、絵や写真を見せたり、夫が元気だった頃に娘が一緒に買った香りのグッズを枕元に置いたりと、思いつく範囲でいろいろやってみていました。
しかし見慣れた家族の顔ではなく、遠方から来られた恩義ある大野先生との再会は、「刺激を与える」ことがどれほど効果的なのか、具体的に示してくれたように思います。
先生の姿を見た時、夫の中で、あきらかに何かがかわりました。そして、感情を失ったかのように表情がなかった夫が、驚き、目を見張り、そして大声で泣いたのも、これが初めてでした。