つまり、この時の大熊先生や嶋村先生の言葉は、私たちにとってその後の生活指針となるようなものだったのです。もう絶望しかなく、下を向きそうになっていた私たちの意識や目線は、ここらへんからだんだん上向きになりました。
もちろん、「刺激を与え」ても、どうなるかというところまでを先生方はおっしゃったわけではありません。でも、現実にはもう何もできないと思っている家族にとって、「刺激を与える」というのは、私たちでも何かできることがあるかもしれないと思えることの1つだったのです。
ただ1つ不思議なのは、この「どんどん刺激を与えてくださいね」という言葉を医師から聞いたのは、大学病院に入院していた時だけだったということです。他の病院では聞いたことがありません。でも、どんな重症でも、どんな家族にとっても、これは救いになる言葉かもしれないなと思っています。
恩人のお見舞いに
夫の様子が大変化
弘前城は桜で有名ですが、例年4月22日が満開になることが多く、この年もそうでした。私はJR弘前駅まで1人のお客様をお迎えに行きました。東京大学名誉教授の大野雅二先生です。
大野先生は天然物有機化学分野で多々業績を上げられた方で、夫は研究の分野でとてもお世話になっておりました。夫が病気になる前の年にお会いした時、大野先生は弘前の桜をご覧になりたいとのことで、いつがいいのかを夫に尋ねてこられ、夫は4月22日をお薦めしてホテルもすでに予約していました。
3月に病となった時、私は大野先生にご連絡を差し上げて、率直に現状をお伝えしました。ただ、すでにホテルも予約しているからと、そのまま弘前においでくださることになりました。その当時の夫は面会謝絶状態でしたが、わざわざ東京からおいでくださってい
ることもあり、私は病院に事情をお話して、夫の病室まで大野先生に来ていただくことにしました。