いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

コンサルに聞いた「できる人」「できない人」を分ける決定的な1つの違いPhoto: Adobe Stock

「ねじれ」を見ているコンサルタント

 とても尊敬しているコンサルタントさんが、なぜ彼がコンサルティングする会社がうまくいくのか秘訣を教えてくれたことがある。

 一言で言うと、言葉と行動を一致させるからだそうだ。

 〇〇を実現したい、××の社会に貢献したいといった思い、理想、ビジョン。まず、ここがぼんやりしていると行動が一致するも何もないだろう。その場合はそれを明確な言葉にしなくてはならない。

 ちゃんと言葉になっているなら、それに即した行動をしていけばいい。

 ところが、ほとんどの場合、言葉と行動にねじれがある。

 それにはいろいろな理由があって、たとえば組織の構造だったり取引先との関係だったりと一見複雑な状況の中に隠れているので、本人はねじれていることに気づいていなかったりする。

 問題やトラブルはその「ねじれ」から発生しているということだった。

 どうしてこんなに次から次へと問題が起きるのだろうかと思って見なおしてみたら、いつのまにか言葉と違うことを一生懸命やっていたからだとわかるのだ。

できる人は、言葉と行動が一致している

 この話は個人にあてはめても同じだ。

 あらゆる問題は、言葉と行動にねじれがあることから発生しているのではないか。

 たとえば、「心にも時間にもゆとりがあり、幸せを感じながら暮らしたい」と言いながら、毎日ドタバタして一切ゆとりがなく、幸せを感じるヒマがないとする。

 これは結局、自分で言葉と行動を一致させていないのだ。

 無理なスケジュールを組んだり、つねにあれこれ考えて心を落ち着けようとしなかったり、「心にも時間にもゆとりがあり、幸せを感じながら暮らす」という言葉に則した行動をとっていない。

 そして不思議なことに、本人はそれに気づいていないのである。

 コンサルタントさんが言っていたように、言葉と行動を一致させるべく見直していくと、さまざまな問題が解決していくかもしれない。

 これに関してストア哲学者のセネカは、もっと厳しく指摘している。

言葉と行動を一致させる

わたしがよい人と呼ぶのはどういう人か?
それはまったくもって申し分のない人、すなわち強要されても、必要に迫られても、決して悪くならない人である。
もしあなたがひたすら努力し、務めに励むとともに、すべての言葉と行動を調和させ、一貫性を持たせ、同じ型で打ち抜かれているものとするならば、あなたもそうなれるとわたしにはわかる。
言行が一致しないなら、その人の魂はねじれている。
(セネカ『ルキリウスに宛てた道徳書簡集』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

 言葉と行動のねじれは、「魂のねじれ」だと言っている。

「良い人でありたい」と言葉で言っていても、行動が伴っていなければ良い人とは言えないのはおっしゃる通りだ。

 セネカがすごいのは「強要されても、必要に迫られても」決して悪くならないことを求めているところ。

「仕方がなかった」ですませる人は魂がねじれているということだろう。

 このストイックさに、私たちは感動を覚えるのだと思う。理想はこうあるべきだ。すべての行動と言葉を調和させることができたら、どんなに素晴らしいだろう。

 これからたびたび、「言葉と行動は一致しているだろうか? 魂はねじれていないだろうか?」と自分に問いかけたいと思う。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)