「あなたは臆病だね」と言われたら、誰だって不愉快でしょう。しかし、会社経営やマネジメントにおいては、実はそうした「臆病さ」こそが武器になる――。世界最大級のタイヤメーカーである(株)ブリヂストンのCEOとして14万人を率いた荒川詔四氏は、最新刊『臆病な経営者こそ「最強」である。』(ダイヤモンド社)でそう主張します。実際、荒川氏は、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災などの未曽有の危機を乗り越え、会社を成長させ続けてきましたが、それは、ご自身が“食うか食われるか”の熾烈な市場競争の中で、「おびえた動物」のように「臆病な目線」を持って感覚を常に研ぎ澄ませ続けてきたからです。「臆病」だからこそ、さまざまなリスクを鋭く察知し、的確な対策を講じることができたのです。本連載では、同書を抜粋しながら、荒川氏の実体験に基づく「目からウロコ」の経営哲学をご紹介してまいります。

「常識に囚われるな」は正解か?「能力は高い」のに仕事がうまくいかない人の“危うい思考”写真はイメージです Photo: Adobe Stock

「常識にとらわれるな」は本当か?

「常識」にとらわれるな──。
 こうした言葉が頻繁に使われるようになっていることに象徴されるように、近年、「常識」というものが軽視されるようになったと実感しています。

 そして、私としては、そのことに対して若干の心配をしています。というのは、「常識」というものを共有していなければ、私たち人間は、他者と共存しながら社会生活を営むことができないのではないかと思うからです。

 もちろん、「常識」という言葉の定義にはさまざまなものがあります。

 そして、これを「ある社会で共有されている固定概念」といった定義で使うならば、私も「常識にとらわれるな」という言葉には同意できます。世の中は常に変化していますから、「固定概念」に囚われていては、その変化に適切に対処できなくなるのは当たり前のことだからです。

 しかし、私のなかでは、「常識」と「固定概念」は全く異なるもの(むしろ、水と油ほど違う)なので、「常識にとらわれるな」という言葉を耳にすると、どうしても違和感が拭えないのです。

ルールの「網の目」を「常識」が埋めている

 たとえば、私が「常識」という言葉を使いたくなるのはこんな場面です。
 私の部下AがSNS上で取引先を揶揄しているとも取れるコメントを書いたとしましょう。

 そして、その取引先と仕事をしている社内の担当者Bが、そのコメントを発見して激怒。「このコメントを取引先が見たら、どうするつもりだ? すぐに消せ!」と要求してきたのを受けて、Aがこんな反論をしたとしましょう。

「どうしてですか? 私には取引先を揶揄する意図はありませんし、SNSで取引先のことを書いてはならないという社内ルールもありませんよね?」

 このような場面で、私は「常識」という言葉を使いたくなります。

「君の意図にかかわらず、取引先が揶揄されたと感じたら、間違いなくトラブルになるよ? そうなったら、担当者のBさんにはたいへんな迷惑をかけることになるし、会社に損害を与えることにもなりかねない。

 それに細かいことまでルールで規定することはできないんだよ。社内規定にある『自社の信用を維持し、取引先等に迷惑をかけない』という一文を踏まえれば、取引先との関係性を傷つけかねない言動は慎むのが常識だと思うよ」

「常識」がなければ、「協力関係」は成立しない

 これが、私が「常識」に対してもっているイメージです。

 ですから、「常識」という言葉にはさまざまな定義がありますが、私がしっくりくるのは、ある辞書に書いてある「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」という定義です。

 人類は、人間同士が協力し合うことで繁栄してきましたが、そのためには、協力関係を安定的に維持発展させるための「知恵」が不可欠です。

 だから、私たちの先人は、長い歴史のなかで、その「知恵」を営々と蓄積してきたのではないでしょうか。

 ただし、その「知恵」をどちらか一方だけがもっていても、協力関係は築けません。協力関係を維持発展させるためには、その「知恵」を「一般の社会人が共通にもつ」ことが不可欠なのです。

臨機応変に対応するために欠かせないのが「常識」

 おそらく「常識」の中核には、「嘘をつかない」「約束は守る」「裏切らない」「相手に敬意を示す」といった、時代や状況に左右されない不変の「原理原則」のようなものがあると思います。

 しかし、重要なのは、そのときに置かれた状況において、「原理原則」をもとにどのような具体的な行動をとるかを臨機応変に判断する能力だと思います。

 たとえば、「嘘をつかない」という原理原則はあるけれども、「相手に敬意を示す」という原理原則を優先すべきときには、もしかすると「ちょっとした嘘を混ぜたほうがいい」こともあるでしょう。

 あるいは、「相手に敬意を示す」という原理原則には反するかもしれませんが、「嘘をつかず、はっきりと相手の非を指摘すべき」という局面もあるかもしれません。そのときに、相手との関係性を踏まえながら、どのような言葉、口調、表情で伝えるべきなのか……。このような判断を的確にできる人物を、私は「常識人」として高く評価しているのです。

(この記事は、『臆病な経営者こそ「最強」である。』の一部を抜粋・編集したものです)

「常識に囚われるな」は正解か?「能力は高い」のに仕事がうまくいかない人の“危うい思考”荒川詔四(あらかわ・しょうし)
株式会社ブリヂストン元CEO
1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むほか、アメリカの国民的企業だったファイアストン買収(当時、日本企業最大の海外企業買収)時には、社長参謀として実務を取り仕切るなど、海外事業に多大な貢献をする。タイ現地法人CEOとしては、同国内トップシェアを確立するとともに東南アジアにおける一大拠点に仕立て上げたほか、ヨーロッパ現地法人CEOとしては、就任時に非常に厳しい経営状況にあった欧州事業の立て直しを成功させる。その後、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップシェア企業の地位を奪還した翌年、2006年に本社CEOに就任。「名実ともに世界ナンバーワン企業としての基盤を築く」を旗印に、世界約14万人の従業員を率いる。2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などの危機をくぐりぬけながら、創業以来最大規模の組織改革を敢行したほか、独自のグローバル・マネジメント・システムも導入。また、世界中の工場の統廃合・新設を急ピッチで進めるとともに、基礎研究に多大な投資をすることで長期的な企業戦略も明確化するなど、一部メディアから「超強気の経営」と称せられるアグレッシブな経営を展開。その結果、ROA6%という当初目標を達成する。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役、株式会社日本経済新聞社社外監査役などを歴任・著書に『優れたリーダーはみな小心者である。』『参謀の思考法』(ともにダイヤモンド社)がある。(写真撮影 榊智朗)