葬式帰りに玄関で塩をまくのは
故人に失礼ではないか

 ところがいつの間にか、死ぬ話は禁忌になってしまった。「縁起でもない」と遮る。これは大人が悪い。この間、小学校5年生に授業をしてそのとき「死ぬことを考えたことはあるか」と聞くと、全員があると答えた。だから死ぬことって中年過ぎてから考えるんじゃなくて小学生も考えている。

 それなのに、それに対する大人の側の受け入れがちゃんとできていない。

 死体はきちんと見せたほうがいいし、死んだとき、遺体を自分の家に運んで棺の中を見るという体験があれば、人は死ぬとこうなるというのがわかる。汚いもの、汚れたものとして死を隠す風潮はよくない。葬式から帰ってくると、みんなよく塩をまきます。僕はまかない。死を不浄なものとは思わないからだ。

 葬式に行くと塩を渡されるけど「要らない」と断る。相撲じゃあるまいし、葬儀から帰って玄関で塩をまくなんて故人に対して失礼ではないか。

 母の葬式は3人兄弟の家族だけですまし、それでも何か気が済んだ。これでいいと納得した。自分が死んだときの葬儀もこうなるんだろうなと思った。親の葬儀を済ませると、ようやく自分が一人前になったような気がした。人生で一番大事な儀式が親の葬儀で、壁を乗り越えて自分も再生される。

 親の葬儀をすると自分が死んだときの様子というのもだいたい想像できるし、それがその人の心の安らぎにつながっていくわけで、そこに葬儀という儀礼の最大の効用がある。

 葬式は型にはまっていると馬鹿にする人もいるが、伝統的に決まった型ですることで安心するし慰められる。家族葬のいちばん簡単な葬儀であっても、社会で生かされているということを自覚する。

死んだら自分の葬儀は楽しめない
生前葬はルール違反

 けれど葬儀の形をいろいろ変えていくことを考える時期には来ていると思う。死は最後の楽しみなのだから。死んでどうなるかは死んでみなけりゃわからない。だから生きているうちに、あれこれと想像してみる。それが宗教です。さて、神さま仏さま、あるいは親や兄弟があの世で待っていてくれるか。答えは死んでみなきゃわからない。だから生前葬はずるいと思う。