老後「まだまだこれから」「第二の人生!」と言い出す人が決定的に見落としていること写真はイメージです Photo:PIXTA

作家・エッセイストの嵐山光三郎83歳が老境を語る。芥川龍之介ら天才は若くして一気に坂を登りつめ、まるで崖から落ちるように死んでしまった。だが、ジジイになるまで生き残った者は、ヨロヨロと下り坂を楽しめばいい──。「楽しみは人生の下り坂にあり」と見いだし、「落ちめの快感は、成り上りの快感に勝る」と喝破した。本稿は、嵐山光三郎『爺の流儀』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を抜粋・編集したものです。

自転車旅行で発見
「楽しみは下り坂にあり!」

 私が「下り坂の極意」を体感したのは、自転車旅行からだった。

 55歳のとき、友人の坂崎重盛(編集部注/エッセイスト)と、自転車で『奥の細道』を走破した。それもママチャリでである。いっぱいある仕事をうっちゃって、ママチャリに乗ってダラダラと自転車旅行をし、山の湯につかって芭蕉翁の気分を追体験した。それをテレビ番組のクルーが撮影して放送した。

 自転車に乗っていると、風が顔にあたり、樹々や草や土の香りがふんわりと飛んできて、光や音や温度を直接肌に感じ、それは気持ちがいい。自動車で移動したのでは、こんな快感は味わえない。

 それでも、登り坂はきつい。

 若いころの体力はなく、たいした登り坂でもないのに、自転車から降りて、引いていく始末だ。ぜいぜい息をきらして登りきると、つぎは下り坂になる。下り坂はペダルをこがなくてもよく、気分爽快だ。そのとき、

「楽しみは下り坂にあり!」

 と気がついた。そしてまた坂道を登るたびに「つぎは下り坂だ」とはげましている自分に気がついた。

 いま、町にあふれるジジイ指南書は、そのほとんどが上昇志向である。なんらかの形で上昇し、難しい坂を登りきろうという発想で下降志向のものがない。下り坂がこんなに楽しいのになぜなのだろうか、と考えた。

 人間は、年をとると、「まだまだこれから」だとか「第二の人生」だとか、「若いモンには負けない」という気になりだし、こういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。年をとったら、ヨロヨロと下り坂を楽しめばいい。落ちめの快感は、成り上りの快感に勝る。実篤(編集部注/武者小路実篤)の語録に、