「何歳からビンボーになりましたか?」→作家たちがこぞって答えた年齢とは写真はイメージです Photo:PIXTA

かつて、日常の話し言葉を文章化する「昭和軽薄体」と呼ばれるエッセイで、一世を風靡した作家・嵐山光三郎。83歳の新刊は、「老い」と向き合い、「老い」を受け入れ、「老い」を愉しむ自身を綴ったものだ。65歳のときに決めたという「老いの流儀十カ条」に注目されたし──。本稿は、嵐山光三郎『爺の流儀』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を抜粋・編集したものです。

65歳すぎたら執筆依頼は来ない
収入は50歳のころの半分に

 このところ私はNHKテレビに出演するようになった。「見ましたよ、嵐山さんのテレビ」と声をかけられる。20年ほど前の「食は文学にあり」シリーズの再放送などである。「お若かったですなあ、あのころは……」となつかしがられる。

 還暦になったころ、先輩作家に会うたびに「いくつからビンボーになりましたか」と訊くと、「65歳」という人が多かった。「65歳になると、精力が衰え、体力が続かず、性欲、金欲、表現欲が弱くなるのだ」と教えられた。たしかに64歳、65歳と少しずつ仕事の量が減っていき、収入は、50歳のころの半分になった。

 自由業者は退職金は出ないし、年金も少なく、生活するためにいつまでも働かなければいけない。野坂昭如さんから「65歳すぎたら執筆依頼なんか来ねえぞ。覚悟しておけ」といわれて、その通りになった。

 野坂さんは何人かの人気作家の名をあげ「人気なんてパタリと止まる。そりゃ厳しいもんだ」といった。

 それでも「旅行記」の仕事がいくつかつづいて、しばらくは仕事になったが、「旅に出て3泊4日」で帰ってくるので「家出旅行記」だった。

 そのころNHKテレビで人気があった「プロジェクトX」が再放送された。なつかしいなあ。この番組に出演するのが男の晴れ舞台だった。

「そのとき、高橋は考えた。もうあとへはひけない、と」とナレーションが入り、アナウンサーに「大変な御決断でしたね」とふられて、涙ぐんで、うなずく。