
大の酒好きでありながらも、61歳にしてふと断酒を始めた作家の樋口明雄氏。とはいえアルコール依存者の断酒成功率はほんのわずかであり、厳しい道が待ち受けている。そして、断酒を継続する上でやはり避けて通れないのが「しらふで飲み会を楽しめるのか?」という問題だった。本稿は、樋口明雄『のんではいけない 酒浸り作家はどうして断酒できたのか?』(山と溪谷社)の一部を抜粋・編集したものです。
酒ではなく空気に
酔っていただけ!?
呑み会とかバーベキューなどの現場は大いなる試練だった。
まずはビールで乾杯。次は焼酎にするか、それとも日本酒?なんて周囲がいってる中、たった独りでノンアルコール飲料やウーロン茶を飲む寂しさといったらない。
しかも「お前が断酒?冗談だろ?」と、嗤われてしまう。
「無理せずに、たまには少しぐらい呑めば?」なんて声をかけてくる者もいる。
甘言にのせられてちょっとでも呑んでしまえば元の木阿弥。たちまち振り出しに戻ることになる。
ところが、周囲の人間がどんどん酒に酔っていく中で独り素面(しらふ)でいても、意外に悪くないことに気づいた。自分は自分でちゃんと酒なしで浮かれ騒いでいる。ときとして、呑んでいる者よりもよっぽど酔っ払ったみたいに莫迦(ばか)騒ぎをし、いつの間にか座の会話の中心になっていたりもする。
ノミニケーションなどといわれるように、それまでは酒あっての歓楽だと思い込んでいたが、実はそうじゃなかったことに気づかされた。「呑み会」「パーティ」なんていう、その場の空気に酔っていただけだったのだ。
しかも、自分の周囲の人間たちが、杯を重ねるうちに、だんだんと酔っていく、その変貌ぶりというか過程が見えて、なかなかに興味深い。
しかも自分は酔っていない。
座がひけたあと、ちゃんと車を運転して帰宅できるから素晴らしい。
おかげでひとつ難関を乗り越えた気がした。
アルコールはWHOも認める
危険薬物の一種
もしも宴会に酒がいらないのであれば、そもそもアルコールってなんだろうと思う。たしかに酒を呑むと羞恥(しゅうち)心がなくなったり、やる気が出たりすることはある。呑兵衛たちはそれがゆえに酒は潤滑剤だといっている。
ところが実際、酒を呑まずに宴会に参加し、呑んでいる人たちに負けず劣らず興奮して騒げるんだから、そんな潤滑剤は必要ないんじゃないか。
だとすれば、自分は今まで酒にすっかり騙されていたのではなかろうか。
断酒というモチベーションを維持するために、あれやこれやと文献をあさり、インターネットで調べ、YouTubeの動画を観たりしてきた。