
25年前に都会生活から離脱し、無事に子育ても終え還暦を迎えたものの、妻との諍(いさか)いが絶えない日々……。そんな状況も影響して酒浸り生活だった作家の樋口明雄氏だが、ある日ふと、断酒を決めた。だが、アルコール依存者の断酒成功率はほんのわずか。樋口氏もまた、禁断症状に苦しんだという。その実体験を『のんではいけない 酒浸り作家はどうして断酒できたのか?』(山と溪谷社)より一部を抜粋・編集しお送りする。
子育てから解放され
夫婦喧嘩が絶えなくなった
移住をして苦労した日々もあっという間に過ぎる。
歳を取ると、なぜか時間が加速する。1日がとにかく早い。
子供たちは元気に成長してくれ、ふたりとも意気揚々と都会に出て行った。
家族の一員でいてくれた犬たちも、次から次へと寿命を終え、気がつけば二十数年、連れ添っている妻とふたりきりでここにいる。
しかも子供らがいなくなったとたん、子育ての重荷から解放されるどころか、夫婦の諍(いさか)いが絶えなくなった。原因はきっと〈空の巣症候群〉という奴だ。
夫婦喧嘩は犬も食わぬといわれるように、いつもつまらぬ原因で唐突にそれが始まる。しかもいったん始まると止まることを知らない。互いに酒を呑んでいると引くに引けなくなる。双方がヒートアップしていく負の潤滑剤である。
こんなはずじゃなかった。
そう思いつつ、幾度、過去を振り返るも、自分が戻るべき場所はすでにない。
故郷の土地も家も引き払い、懐かしい阿佐ヶ谷の街も時代とともに変貌してしまった。
そして私から笑顔が消えていた。
どんどん悪化していく肝機能の数値。そのほか、いろんな健康不安もあった。
数年前の総合健診で膵臓(すいぞう)に嚢胞(のうほう)が見つかり、総合病院でMRIを撮ってもらった。さいわい癌化するような悪性のものではなかったのだが、こういうことがたび重なってくると、少しずつだが、かたちの見えない死への恐怖のようなものが心に生じる。
双方のストレスが原因で夫婦喧嘩の果てにふて寝をし、宿酔の不快感の中でどんよりと疲れ果てたまま目覚めた、そんなある日の朝。
私はぽつりとつぶやいた。
「酒、やめるかな」
断酒宣言するも
妻に一笑に付される
それはある晴れた日の朝、突然に始まった。
――と、まるで小説の書き出しのようだが、本当にそうなんだから仕方ない。
何の前触れもなかったし、だしぬけに降って湧いたようにその気持ちが胸の中に生じた。
何もかもがイヤになって投げ出したくなる。人間、ひょんなことでそんな気持ちになるもの。それがたまたまアルコールだったという話。
自分が気づかないうちに、ここに至るまでにいろんなことが積み重なっていって、その重さに耐えきれなくなったということなのだろう。