お酒は色々な出会いやチャンスを生むが、手痛い失敗をすることもある。シラフで居ることがクールだとされる、そんな時代に作家・王谷晶は「ダサくても良いから酩酊させてくれ」と静かに叫ぶ。この時代にお酒を飲み続ける人たちが漠然と感じていることとは?※本稿は、王谷晶『40歳だけど大人になりたい』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。
「酒はドラッグやからね」
酒飲みに憧れた日々の苦い記憶
お酒が好きだ。といっても毎日がんがん飲むタイプではなく、現在はせいぜい週に1日か2日、飲んだり飲まなかったりというおとなしい酒飲みである。芋焼酎が好きだけど、一升の黒霧島を空けるのに2カ月くらいかかる。外に飲みに行くこともあるけど、それも打ち合わせや付き合い含めて月1~2回くらいで、ちゃんと電車でしゃっきり帰れる範囲でしか酔っ払わない。
酒に強いか弱いかでいうと、強いほう寄りではあると思う。でも自分の肝臓を過信せず、適度にヘパリーゼとかウコンの力を投入し、水もいっぱい飲む。飲むときはちゃんと肴も頼んで、空きっ腹にアルコールは入れないように気をつけている。ちゃんぽんもなるべくしない。まあ、健康を害さない程度の、常識的な範疇の飲み方だと思う。しかしここに辿り着くまでには、悲惨な歴史の積み重ねがあった。
恥を忍んで言うが、これまでの人生の半分近く、けっこう飲みまくっていた。酒の失敗話は売るほどある。まあまあ笑えるものから墓場まで持っていくつもりのものまでいろいろだ。
昔からエッセイが好きで、著者の破天荒な酒飲みエピソードが書かれているものもたくさん読んだ。私はそのメチャクチャな話をごく若いころから楽しんで、そしてどこかで憧れていた。それに気付いたので、もうなるべく自分の飲酒ネタの具体的な話を書くのは控えようと思っている。
どんなばかばかしいエピソードでも、いやそれがバカであればバカであるほど、そういう荒れた飲酒に憧れを持つ人をわずかでも生み出してしまう可能性がある。それをしたくない。酒を飲んでしっちゃかめっちゃかになるのは、自分にとっても他人にとっても(ほんとに)決してよいことではないから、書かない。
私は若いころお酒と処方薬を濫用していた時期があり、それについて後悔しており、いま生きているのはたまたま運が良かっただけという事実だけを告白したい。直接の因果関係は分からないけど、上記のような生活を数年して以来記憶力がものすごく落ちた。