アルコール依存症と鬱はセットとよくいわれるが、振り返ってみれば、飲酒時代における自分の思考は決して前向きで建設的なものではなかった。
素面のときですら、心が晴れやかになることはめったになく、何かとネガティブ・シンキングにおちいってしまい、悲観論に憑かれていた。ともすれば卑屈になり、他者と自分を比較しては、俺の人生なんかどん底のままだと自分をおとしめていた。
酒の快楽は
あくまでも刹那的
断酒後、私はよくこんな言葉を口にした。
――けっきょく酒は過去しか見せてくれなかった。
若い頃ならともかく、歳を取り、独りで飲酒をしていたときは、昔のことを振り返っては、あのときああすれば良かったと悔やんだり、昔は良かったなあと懐古主義に走ったりしていた。呑み会や焚火などで仲間と語り合ったときも、果たして自分たちの明るい未来を信じて、それを話題にしたことがあっただろうか。
阿佐ケ谷駅界隈で毎晩のように呑んだくれていた頃は、たしかに楽しかった。今のこの時間がずっと続けばいいとさえ思っていた。ところが歳を取り、還暦を過ぎた頃になると一変した。すべては昔という時間の遠い彼方に去ってしまい、残された歳月は限りなく少ない。

樋口明雄 著
呑むことで苦痛が和らぎ、イヤなことも忘れると思いつつ、酒をあおった。
しかし、けっきょく苦痛は癒やされず、イヤなことはよけいに心に刻まれて残ってしまう。酒はあくまでも刹那(せつな)的な快楽に過ぎないから、酔いが醒めれば現実に戻る。それがいやなら朝から迎え酒でもやって、日がな1日アルコールの海に沈むしかない。
そうなれば間違いなく、映画『失われた週末』(編集部注/1945年のアメリカ映画。アルコール依存症の男の恐怖と苦悶を描いた作品)の主人公よろしく閉鎖病棟へまっしぐらである。
アルコールというのは心に棲み着く悪魔のような存在であり、常に何かしらの誘惑をささやくのだろう。有史以前から人間と共存し、いろんな悪事をそそのかしてきたのが酒だとしたら、妙に納得がいく。