NewsPicksパブリッシング創刊編集長・井上慎平氏の新刊『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』から、前書きの全文を特別公開します。
少し時間ができるとつい“有意義なこと”をしてしまう。「結果を出さなければここにいる意味がない」と思ってしまう。毎年成長し続けることが、なんか、しんどい。この本は、そういう人のための本です。(構成・写真/ダイヤモンド社・今野良介)
僕たちは、「強くなろう」とせずにいることが
とても難しい時代を生きている
一瞬、自分に何が起きているのかわからなかった。
「あ゛あ゛ぅ…ぇあ゛ぁ…ひぐっ…」
僕はこいでいた自転車を降りて路肩に止め、カゴの上に突っ伏して、ぐちゃぐちゃに泣いていた。
イヤホンからは Spotify が勝手に選んだ、初めて聴く曲が流れ続けている。
深い深い穴の底で 一人惨めにいじけている”
(ハンバートハンバート『虎』より)
止まったままの時計。
みじめという言葉が頭から離れない。
みじめ。みじめみじめ。
ああ、そうか。僕は、自分のことをみじめだと思っていたのか。みんな前に進んでいるのに、自分だけが時間を無駄にしている。働けない。がんばれない。編集者のくせに本すら読めない。自分という人間はもう死んだんだ。
あり余った時間が、指のすきまから砂のようにこぼれ落ちていく。僕はその砂で、何か価値あるものを生み出したかった。けれど、ただその砂が落ちていくのを眺めていることしかできなかった。まったくみじめなやつだ。みんながこの瞬間も何かを生み出しているのに、おまえときたら。泣き腫らして一度みじめさを認めてしまったら、少しだけ気が楽になった。
うつ状態で休職に入り2ヶ月ほど経った、真夏の午後のことだった。
うつのきっかけは、「がんばりすぎ」だった。前職の出版社で比較的ゆったり本づくりにはげんでいた僕は、ある日、縁あってNewsPicksというスタートアップに飛び込み、書籍部門を立ち上げ、「NewsPicksパブリッシング」というレーベルを創刊することになった。
そして入社から約3年間、スピード命のスタートアップの激流のなかを泳ぎ続け、力を使い果たし、ついに動けなくなった。
休職期間は約1年におよんだ。その後、重いうつ状態は抜けたものの、今も毎日障害の症状に悩まされ、弱いまま生きている(診断名は双極性障害Ⅱ型)。
僕は、「誰からも優秀だと認められるビジネスパーソンにならねば!」と、肩肘を張って働いてきた。今思えば、「なぜあれほどがんばりすぎてしまったのだろう?」「なぜ適度に力を抜けなかったのだろう?」と、不思議でしかたがない。
強くあろうとし続けた結果、弱くなった。なにしろ、もう努力すること自体が難しい。一日を生き抜くだけで精一杯のありさまなのだ。
うつのどん底を抜けた頃、冷静になった自分の頭にはいくつもの問いが浮かんでいた。
・なぜ、倒れてしまうほどに「強い自分」を演じたのか?
・弱さは「克服すべきエラー」なのか?
・なぜ、自分はあれほど「時間を無駄にすること」を怖れていたのか?
・なぜ、会社もビジネスパーソンも「成長し続けること」を求められるのか?
・競争に必死にならずに、のんびり生きていくことはできないのか?
・能力主義という、「優秀な人が、たくさん稼ぐしくみ」は正しいのか?
・「他責より自責」というビジネスの論理は、人を必要以上に追い詰めないか?
・「やりたいこと」がある人はえらくて、ない人はえらくないのか?
・ポジティブでいることがよしとされる中で、ネガティブな感情とどう向き合うか?
・「役に立たない人」は世の中に必要ないのか?
・僕はこれからも、ビジネスの世界における「強い自分」を目指すのか?
僕ひとりの問題について考えれば考えるほど、思考は遠くへ広がっていった。
・僕たちは、いったいどんな時代を生きているのだろうか?
・社会は、経済はどんな原理で成り立っていて、僕たちの価値観にどんな影響を与えているのだろうか?
弱い自分になったいま、実感をこめて言える。僕たちは、強くなろうとせずにいることが難しい時代を生きている。
先ほど並べた問いは、弱くなった僕が生きていくために考えずにはいられなかったものだ。その意味で僕の個人的な問いではある。けれど考えるほどに、それは個人に閉じたものじゃなく、「社会」や「時代」とつながっていることがわかってきた。
だから、それは同じ社会、同じ時代を生きる、あなたが抱えるしんどさや苦しさにもつながっている。僕の弱さはあなたの弱さにつながっている。だから、僕なりの「弱さ考」を伝えずにはいられなくなった。
「生きる」にとって経済とは何か?
うつになる前からずっと、僕の思考の根底には「経済」への問題意識がある。
まず、僕たちは歴史上、経済の影響力がもっとも大きい時代に生きている。経済の論理こそが社会を動かしている。そしてヒトは社会のなかで生きる「社会的動物」だから、当然、社会のあり方から強く影響を受ける。
ならば、僕たちの心理や価値観が、いまや社会を動かす原動力となった経済から影響を受けるのは当たり前だ。「コスパ」「タイパ」という経済的な言葉が飛び交う現状が、その事実をよく現している。だとしたら、「経済は、一人ひとりの心理や価値観にどう影響を与えているのか?」は、もっと語られてもいいんじゃないか。
「『生きる』にとって経済とは何か?」
ひと言で言えば、この問いを僕はずっと追い続けてきた。経済メディアであるNewsPicksに入社したのも、それが理由だ。この問いに対する、現段階での僕の仮説はこうだ。
働く場所で求められる「強い人間」になろうと僕たちはがんばるが、どこかなりきれず、かといって「弱いままでいいんだ」と開き直ることもできず、苦しんでいる。そしてこの苦しさは現代特有のものであり、これからさらに増していく。
ただ、この本は「だから、世の中を変えよう」と煽りはしない。むしろ「世界を変えよう」「課題にぶつかったら、乗り越えよう」という強さの論理をときほぐすための本だ。
一方で、「弱くてもいいんだよ」と全面的にケアする本でもない。弱さをケアする本は間違いなく重要だ。けれど、ケアを受けた人は、その後、再び強さを求められる世界に戻っていかなくちゃいけない。僕はその厳しい現実を支える本をつくりたかった。
他のビジネス書が武器だとしたら、この本は、生身の人間が働くための防具だ。
「強い自分」でい続けることに疲れているあなたへ。
今まさに弱りかけているあなたへ。
弱った人をケアしているあなたへ。
理解されづらいしんどさを抱え、なんとか日々をやりすごしているあなたへ。
強くなりきることも、弱さに開き直ることもできずにいる、すべてのビジネスパーソンへ。
この社会における強さと弱さを問い直すために、僕は「思考の旅」に出た。たくさん本を読んだ。たくさん散歩をした。たくさん考えた。
すると、今まで「当たり前だ」と思っていた多くのことが、まったく当たり前じゃないことに気づいた。ものの見方が変わった。だから、僕はもうあまり怖くない。たとえ世界が変わらなくても、違う世界の見方を得て戻ってきたのなら、そこはもう前と同じ場所じゃないからだ。
臆病できまじめな僕が、どん底から這い上がる過程でどんなことを考えたのか。どんな景色を見たのか。今、どんな景色が見えているのか。
隣を一緒に歩くような気分で、読んでみてほしい。
