ロシア・ウクライナ情勢、中国の経済面・軍事面での台頭と台湾・香港をめぐる緊張、トランプ前大統領の動きをめぐるアメリカ政治の動揺、そして日本で選挙期間中に起こった安倍晋三元首相襲撃事件……これらのことを見て、「このままで民主主義は大丈夫か」と不安になる人は、むしろ常識的な感覚を持っていると言えそうです。自由な選挙、非暴力の議論、権力の濫用のない政治と国民すべてに平等な機会がある中での経済発展のような、民主主義がもたらしてくれることを期待されている価値観が崩れかけています。決められない、豊かさをもたらさない延々と議論が続く民主主義でなく、専制的であっても決断力と行動力のある、強いリーダーがいいと考える国も出てきています。それでも民主主義が優れていると言えるのは、なぜなのでしょう? 困難を極める21世紀の民主主義の未来を語るうえで重要なのは、過去の民主主義の歴史を知ることです。民主主義には4000年もの過去の歴史があり、時に崩壊し、そのたびに進化を繰り返しながら進んできました。刊行された『世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史』は、現代に続く確かな民主主義の歴史をコンパクトに、わかりやすく解説しています。オーストラリア・シドニー大学の著者、ジョン・キーン教授が、西欧の価値観に偏りすぎないニュートラルなタッチで語る本書は、現代を生きるための知的教養を求める日本人読者にぴったりの一冊です。同書の中から、学びの多いエピソードを紹介します。(訳:岩本正明)

資本主義と民主主義Photo: Adobe Stock

資本主義のもたらす強欲、格差

 世界の選挙民主主義は、資本主義と呼ばれる利潤に突き動かされた商品の生産・交換システムにより、深い痛手を負っていた。米国の政治経済学者であるソースティン・ヴェブレン(1857~1929年)は、選挙民主主義がいかに容易に「既得権益を持つ階級のために政治を行う、政府の裸を覆い隠すためのもの」に変容しうるかを指摘している。

 一部の批評家は、資本主義が表向きは「自由な労働者」を標榜しつつも、実際は略奪者、奴隷商人、工場経営者、植民地の商人による暴力的な搾取が人々を苦しめていると強調した。また、資本主義のメンタリティが、全人民の尊厳ある平等という民主主義の精神を蝕むと指摘する者もいた。資本主義は自己愛に促された恣意的権力を求める欲求や、卑しい従属、愚かな行動、大衆扇動、強欲を国民に植え付けるというのだ。

 英国の政治学者であるハロルド・ラスキは、ヒトラーがドイツ首相に任命される以前に広く読まれた政治パンフレットの中で、資本主義と代議制民主主義を両立させるのは現実的には不可能だと強調し、「代議制民主主義は袋小路に突き当たったようだ」と述べている。この問題の根本原因は、平等の原則が既存の制度の枠組みの中に入り込むための余地がないことにあるという。つまり、金と力を持つ個人、一族、企業による石油や石炭、鉄鋼、金融などの支配に基づいた経済システムが、主な阻害要因だと彼は主張している。

 支配階級は自ら進んで、既存の資本主義社会のあり方を自分たちに不利なかたちに変えるつもりはないため、政治の最優先事項は抜本的な制度の調整になる。ただ、暴力の使用は避けるべきだ。暴力の使用は、民主主義の原則と慣習の直接的な脅威となる。喫緊の優先課題は、労働組合や選挙を通して一般大衆に政治機構を掌握させ、経済システムがつくり出した不平等を正す機会を与えることによって、国家と経済のパワーバランスを変えることにある、とラスキは結論づけている。

 1920~30年代にかけて、多くの市民や代表者から同様の不満が噴出した。一人一票の原則に基づいた自己統治は、富と権力の少数への集中が運命づけられた経済システムとは容易にはなじまないということを、彼らは認識していた。

 一方、民主主義と資本主義の倫理と制度は不可分なものだ、と考えられていた時期もあった。「ブルジョアなしに、民主主義はない」という有名な言葉は、封建制や君主制、家父長制の時代の不平等な従属関係からの脱却を、資本主義の拡大が後押ししたことを端的に表現している。

 生産・交換手段の進歩は、国家の権力と資産を有する市民とのあいだに緊張関係を生み出した。「代表なくして課税なし」という原則──16世紀にネーデルラントの都市で生まれた──も、こうした緊張関係の中で生まれたものだ。現代の資本主義のダイナミズム、技術革新、生産性の向上が物質的豊かさを生み出し、中産階級の勃興を可能にした。そして労働組合や政党、選挙権の拡大、セーフティネットなどによって守られた労働者による大衆運動というかたちで、資本主義は市民社会の急進化の素地も敷いた。

 このように資本主義と選挙民主主義は相棒のように思えたが、現実は常にトラブルを抱えた間柄だった。格差を拡大し、階級社会を醸成し、自然を搾取し、いずれ破裂する投機バブルを生み出す資本主義の強欲さに、選挙民主主義は脅かされていた。選挙民主主義の時代を通して、不況が投機熱を生み出し、人々の生活を不安と窮乏に陥れた。その過程において民主主義の制度は足下から揺らぎ、霜で枯れる新芽のように崩れ落ちていった。それが、まさに1920~30年代にかけて世界規模で起きたことだった。