防御と生活の2つの観点から水路を
張り巡らせ「水運の町」に

書影空を見上げて歴史の話をしよう』(雪ノ光著/三省堂)

ミナカタ 家康は、江戸の地理に目をつけたんだ。

 北側の山からいくつもの川が流れていて、そのまま南側の海へと注がれている。つまり、江戸は「水」に恵まれていた。

 水脈があるということは、飲み水に困らないし、農業も発展する。水上交通を整備すれば多くの物を運ぶときにも便利だし、港を整備すれば船で日本中へ行くことができる。

 当時の交通は、今よりも陸上交通が発達しているわけではない。多くの関所を通過する手続きも面倒だ。そのため、水路のほうが早くて便利だったんだ。

ミナカタ 家康は、水に恵まれたこの地を、水を活かす形で整備し、大坂のような大都市にしたいと考えた。

ワタル なるほど「水」かあ。途方もない考えだけど、発想がさすがだね。

ミナカタ 1590年、家康は江戸城に入城すると、城の大規模な拡張工事に着手。まずは、江戸湾から江戸城への水路を整備し、建築資材などを海から効率的に運べるようにした。同時に、江戸城近くの海の埋め立てを始める。

メグル 江戸城って今の皇居だよね。そのすぐ近くまで、海だったということ?

ミナカタ ああ。当時、江戸城のすぐ東側と南側は「日比谷入江(ひびやいりえ)」と呼ばれる入江だった。入江というのは、陸地に海や湖がえぐるように入り込んできている地形のことだよ。

 今の東京駅、有楽町、日比谷公園、新橋、汐留、浜松町あたりは入江になっていて、江戸湾、つまり今の東京湾が入り込んでいた。家康は、この入江を土で埋めて、埋立地にしたんだ。

ワタル その大量の土はどこから持ってきたの?

ミナカタ 江戸城の拡張工事で掘り起こした土のほか、江戸城の北側、現在の御茶ノ水駅あたりには「神田山」という山があって、これを切り崩して埋め立て用の土に使った。

ワタル JR中央線に乗ると、市ヶ谷駅から飯田橋駅あたりに池が見えるのだけど、あれも江戸城に関係しているの? 釣り堀があるよね。

ミナカタ あそこは、江戸城の「外堀(そとぼり)」だよ。江戸城は「内郭(ないかく)」が周囲約8キロメートル、それを囲む「外郭(がいかく)」が周囲約16キロメートルあった。この外郭に沿うように水路が張り巡らされていた。その池だよ。

ワタル 江戸城ってそんなに巨大だったのか。

メグル 内郭ってお城を石などで囲んだものだよね。外郭というのは何を囲っているの?

ミナカタ 城下町だよ。内郭が城を囲み、外郭が城下町を囲んでいた。内郭と外郭の二段構えで敵からの攻撃に備えているんだ。こうした構造を「総構(そうがま)え」といって、江戸城が「最強の城」といわれるゆえんだ。

 外堀には橋がかけられ、その橋を渡ると「見附(みつけ)」と呼ばれる城門が設置されていた。「見附」は「見張り」という意味だ。今もJR四ツ谷駅近くに、外堀にあった城門「四谷門」の名残である、大きな石垣が残っているよ。

 こうして江戸の町は、防御と生活の2つの観点から効率的に水路が張り巡らされ、水運が発達していったんだ。今は陸上交通が発達しているので、なかなかイメージしづらいよね。
 
 18世紀前半の1720年頃には、人口が100万人を超える世界一の都市となり、「大江戸」と呼ばれるまでになった。家康は、江戸という土地の利点を見出して、都市をデザインして、多くの人を集めたんだ。

(次回「大治水事業で江戸を世界一の都市へ! 利根川を東へ曲げた徳川家康のグランドデザイン」は近日配信予定です)

著者:雪ノ光(ゆきの・ひかり)
ナラティブ・エディター。広告/IT企業や複数の出版社を経て、現在は、オンラインメディア、書籍、雑誌、漫画などのさまざまな分野とメディアで、物語に関する企画や構成、編集、執筆、ワークショップの設計等を行う。対象ジャンルは、歴史、IT、経済、建築、経営、法律、音楽、映画、アート、デザインなど。