シリコンバレーのGoogleには4種類の階級がある。最上位はガラスとスチールでつくられたモダンな本社Googleplexで働くGoogler(グーグル社員)たち。その隣の目立たない建物で働く労働者は、バッジの色で区別されている。白のバッジはフルタイムのGoogle社員、赤いバッジは外部契約者、緑のバッジはインターン生で、誰もがバッジの着用を義務づけられている。

 このバッジをつけた労働者はScanOps(スキャンオプス)と呼ばれている。Googleは2010年、世界に1億3000万冊存在する書籍を10年間ですべてデジタル化する壮大な計画を発表したが、このプロセスを完全に自動化することができなかった。他社のように、書籍を積んだコンテナをインドや中国に輸送して、人件費を節約してスキャンする方法も採用しなかった。その代わり、マウンテンビューの施設で外部労働者を雇い、この作業をさせることにしたのだ。

 労働者たちはシフト制で働き、早番では午前4時に勤務を開始し、午後2時15分に建物を出る。その仕事は、ページをめくることと、機械のスキャンボタンを押すことだ。彼ら/彼女たちはGoogleplexで働いているが、無料の食事やジム、自転車、シャトルサービス、各種イベント、文化プログラムといったGooglerの“特権”は与えられておらず、そればかりかキャンパス(Googleplexの敷地)内を自由に移動することも許されていない――。

 この印象的な場面から始まるのが、ドイツの研究者モーリッツ・アルテンリートの『AI・機械の手足となる労働者 デジタル資本主義がもたらす社会の歪み』(小林啓倫訳/白揚社)だ。アルテンリートは本書で、デジタル化は人間の労働を機械に置き換えるのではなく、新しいタイプの「工場」を生み出しているという論争的な主張をしている。原題は“The Digital Factory; The Human Labor of Automation(デジタル工場 オートメーションの人間労働)”。

現代のデジタル工場は世界中の多種多様な労働者を「工場」で働かせることができるようになった

『AI・機械の手足となる労働者』では、Amazonの倉庫、Uber Eatsなどのギグワーク、メカニカル・タークのクラウドワーカー、SNSのコンテンツ・モデレーターなど、デジタル社会のインフラを支える「底辺労働者」の実態が描かれている。

 ワールド・オブ・ウォークラフトような人気ゲームをひたすらプレイしてキャラクターのレベルを上げ、グッズなどを転売して利益を得る仕事は、農場で金(ゴールド)を育てることに喩えて「ゴールドファーマー」と呼ばれる。ゴールドファーミング企業で働くのは主に中国の貧しい労働者で、それを購入するのは、お金を払って手っ取り早くゲームを楽しみたい欧米のユーザーだ。

 アルテンリートはイントロダクション「工場を去る労働者」で、本書のコンセプトを明快に述べている。「デジタル資本主義の特徴とは工場の終焉ではなく、その爆発的普及、増殖、空間的な再構成、そしてデジタル工場への技術的変異」なのだ。これを著者は「デジタル・テイラー主義」と呼ぶ。

 1856年にフィラデルフィアの裕福な家庭に生まれたフレデリック・テイラーは、弁護士だった父のあとを継ぐためにハーバード大学法学部に入学するが、目の病気で弁護士への道を断念し、機械工見習いとして工場で働くようになった。その後、エンジニアの資格を得たテイラーは、フィラデルフィアの鉄鋼会社の作業員として就職すると、工作機械の改良や作業工程の改善を行ない、工場の生産性を大きく引き上げた。テイラーが完成させた近代的な生産様式は「テイラー主義(Taylorism)」と呼ばれ、その科学的管理法は20世紀の工場生産に大きな影響を及ぼした。

 20世紀末には工場は中国やインドなど新興国に移転し、欧米や日本などの先進国はものづくりからサービス業主体に産業構造が変わって、工場労働は過去のものになったとされた。だがこれはある種の錯覚で、ICT(情報通信テクノロジー)の指数関数的な高度化によって、テイラー主義はその形態を変容させ、いまも隆盛を誇っている。「工場のように見えないかもしれないが、かつての工場に存在していた論理や労働が今なお存続し、さらにはそれがデジタル技術の普及によって加速している」のだ。

 デジタル工場の労働を、アルテンリートは次のように述べる。

 その仕事は反復的でありながらストレスがたまり、退屈でありながら感情的で負担が多く、正式な資格はほとんど必要としないが、しばしば高度な技術と知識が求められ、アルゴリズム・アーキテクチャーに組み込まれていながら(少なくとも今のところは)自動化できていない。

 その最大の特徴は「労働の多数化」だ。かつての工場は均質な労働者を生み出したが、現代のデジタル工場はアルゴリズムの力によって、国籍、人種、信仰、性別、性的指向などにかかわらず、世界中の多種多様な労働者を「工場」で働かせることができるようになったのだ。