いつも浅い話ばかりで、深い会話ができない」「踏み込んだ質問は避けて、当たり障りのない話ばかりしてしまう」上司や部下・同僚、取引先・お客さん、家族・友人との人間関係がうまくいかず「このままでいいのか」と自信を失ったとき、どうすればいいのでしょうか?
世界16カ国で続々刊行され、累計26万部を超えるベストセラーとなった『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』から「人生が変わるコミュニケーションの技術と考え方」を本記事で紹介します。

「なぜ?」と聞く人は頭が悪い。頭のいい人はどう聞いている?Photo: Adobe Stock

「なぜ」は攻撃に使われている

 質問についてのガイドでは、「なぜ」と尋ねないようにアドバイスしているケースが多い。

 これはとても残念なことだ。「なぜ」は、新しい視点を得たり、相手の話への理解を深めたりしたいときに大きな効果を発揮する質問だからだ。

 とはいえ、「なぜ」という質問の使い方には注意が必要だ。

 人は、理由を尋ねられると、攻撃されていると感じやすい。

 自明な事柄について質問されるのに、慣れていないのだ。自分が何を考え、なぜそう思うのかを説明しなければならないのは、かなり不安なことである。だから「なぜ」と尋ねられて、口ごもる人は多い。

「なぜ」という質問は、説明責任を求められるものと解釈されがちだ。だから、理由もなく、自己弁護しなければならないと感じてしまう。

 それは、「なぜ」という質問が乱用されているからでもあるのではないだろうか。

 私たちはよく、相手の動機に純粋に興味をもつのではなく、すでに出ている自分の結論を質問という形でぶつけるために、「なぜ」と尋ねる。

 気になっていることや苛立っていることを直接相手に言うのではなく、「なぜ」と尋ねる形で伝えるのだ。

 例えば、「やると言っていたのに掃除しないから、本当に腹が立つ」と思っているときに、「なぜ掃除しないの?」と言う。相手はすぐに、それが質問ではなく、質問の皮を被った批判であると察知する。

「なぜ」という質問には懲罰的な響きがある。

「なぜ遅くまで働いているのですか?」

「なぜまだ肉食を続けているのですか?」

 この本の「良い質問」の定義には、それは当てはまらない。

 これは批判の言葉であり、真摯な質問には程遠い。

 一方で、真の「なぜ」の質問は、新しい視点や考え方を得るために欠かせない。

 深い会話をしたいとき、ともに何かを考えたいとき、自分の発言の背景にあるものを知ってもらいたいときに、この質問をするのはすばらしい方法になる。

(本記事は『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』の一部を抜粋・編集したものです)