いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

【一発でわかる】口だけで「仕事ができない人」の残念な口ぐせ・ワースト1Photo: Adobe Stock

文句だけ言い、行動はしない人の口ぐせ

 会社員をしていたとき、業務のやり方にいろいろと疑問があった。それは一緒に働く先輩や同僚もそうであるようで、よく愚痴を言っていた。

「こういうことが困る」

「こんなことばかりでやってられない」

 だったら変えたらいいんじゃない? 私は純粋にそう思った。愚痴や文句を言い続けても何もいいことはない。

 他部署の仕事量が多すぎて、毎日残業でつらいと聞いたときは、「暇な部署が手伝ったらどうですか? 私、手伝っていいですか?」と聞いたら、「そんな単純なものじゃない」と叱られた。

 愚痴を言うばかりで、変化を起こそうとしない人が口ぐせのように言う言葉だ。しかし、いくら業務に詳しくても、評論家のような立場から問題をあげつらうだけでは、「あの人は口だけだ」と言われてしまう。

口だけの人を動かすには?

 一方、私は私で空気が読めないタイプで、当時はなぜ「困る」と言うだけで何も変えようとしないのか、その理由がまったくわからず、名乗り出て自主的にいろいろと変えようとした。

 でもそれは嫌われることのようだった。

 次第にわかってきたのは、「やり方を変える」というのは、これまでのやり方を否定することであり、それを築き上げてきた人たちへのリスペクトが足りないように見えるということだった。

 リスペクトを示しつつ、丁寧にコミュニケーションをとりながら、変えようとしなければいけなかったのだ。めちゃくちゃ面倒くさい手続きが必要で、それは私の手に余った。

変化を受け入れない人たち

 ただ、それも20年前の話。いまはもっともっと変化に柔軟な人たちが増え、それについていけない世代の人たち(の一部?)が困っているのかもしれない。

「飲みニケーション」はなくなり、リモートワークが増えた。パワハラ、セクハラに対する意識などは本当に大きく変わった。社会が変わったのだから、「うちの会社は例外だ」なんて言っていられない。だが、「昭和か!」と言いたくなるようなパワハラ、セクハラもいまだに起きている。

「昔はこれが当たり前だったんだ」「この程度で傷つく人がおかしい」と抵抗している人もいる。頑張ってきた自負がある人ほど、変化を受け入れるのは、かなり大変なことだ。自分を否定されるような気にもなるだろう。

 ストア哲学者のマルクス・アウレリウスは、変化を受け入れることについて、わかりやすくブドウの比喩で伝えている。

変化を受け入れる

未熟なブドウ、熟したブドウ、干しブドウはいずれも変化したのであり、無に帰したわけではない。
存在しなかった別の何かになったのだ。
(マルクス・アウレリウス『自省録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

 望むと望まざるとにかかわらず、どんなものも必ず変化する。

 変化は変化であって、存在が消えてなくなってしまうわけではない。つまり、それは過去の否定ではない。

 干しブドウは私は大好きだが、干しブドウができたのは、未熟なブドウ、熟したブドウがあったおかげだ。

 過去を感謝して肯定しつつ、変化を受け入れることは、良い人生を生きるために大切なことだ。必要以上に過去を否定したり、変化に抵抗したりすれば軋轢を生み、苦しみになる。

 変化を楽しめるくらいの余裕を持って生きたいと思う。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)