【武力を手放し、貿易で勝つ】宋王朝が仕掛けた「すごい経済戦争」とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

武力ではなく、経済力で勝つ!
中国の宋王朝では、軍事力を削減したこと、さらに唐王朝で権威を振るった貴族(門閥貴族)が相次ぐ戦乱で衰退していたこともあり、皇帝への権力集中が進みます。君主独裁体制が確立されるのです。
一方で、軍事力の削減は周辺民族の台頭を許し、なかでも契丹人の建国した遼(916~1125/契丹と交互に国号を変えた時期もあります)や、タングート人の建国した西夏(1038~1227)が、宋王朝に牙をむきます。
とりわけ遼は、五代十国時代に燕雲十六州という地域を手にしており、ここは万里の長城に接する地域であったことから、中国侵攻の足掛かりとなります。相次ぐ北方民族の圧迫に、軍事力の限られる宋王朝は十分に対抗できません。そこで、宋王朝は歳幣や歳賜、すなわち毎年の金銭や奢侈品などの貢納で対処せざるを得ません。
では、多額の貢納をどのように捻出すればよいでしょうか?
そこで宋王朝は、国内における商工業を活性化させることで、この問題の解決を図ります。
刀ではなく、茶と陶器で戦う!
宋代の中国における商工業の活性化は、目を見張るものがあります。江南と呼ばれた長江下流域では、米の生産量が大きく向上し、当時のことわざで「蘇湖(長江下流域の蘇州・湖州)熟すれば天下足る」と称されるまでになります。また、長江流域の湿地帯の開発も進み、これによりゴマやサトウキビといった商品作物の生産も活性化します。
さらにこの時期に注目すべきが茶の流通です。茶はもともと高級品でしたが、唐の末期にはすでに喫茶の風習が広まりつつありました。茶は北方民族への輸出品としても重要視されます。
茶がたしなまれるようになると、これを入れる茶器も趣向を凝らしたものが登場し、関連して窯業すなわち陶磁器の生産も活発になりました。宋代は青磁や白磁といった、単色の地の色にあえて模様をつけないシンプルなデザインが好まれ、この他にも黒色や茶色、紅色なども登場します。窯業では現在でも名高い景徳鎮や、龍泉窯などが生産地として有名になります。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』を一部抜粋・編集したものです)