トランプ関税の影響で株価が乱高下している。投資を始めた人も、これから始めようとしている人も心穏やかではないだろう。こんなとき、どうすればいいのか?
アドバイスをくれたのが、いまや経営学の古典となった『ストーリーとしての競争戦略』の著者で一橋大学の楠木建特任教授だ。氏は大変な読書家で書評家としても知られる。
今回、楠木教授が推薦するのが話題のベストセラー『THE ALGEBRA OF WEALTH 一生「お金」を吸い寄せる 富の方程式』(スコット・ギャロウェイ著/児島修訳)だ。
今、なぜこの本なのか。楠木氏の特別寄稿第1弾をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

スタンスがはっきりしていてイイ
一生「お金」を吸い寄せる――えげつないタイトルがついていますが、もともとの副題は A simple formula for financial security。本書の狙いは、大富豪になって豪奢な生活をすることではなく、経済的な自立と安定を獲得することにあります。
スタンスがはっきりしていてイイ。
資本主義は最も生産的なシステムですが、同時に強欲な獣のようなシステムでもあります。
労働より資本を優遇し、喜びや悲しみを不公平な方法で配分する――資本主義の宿痾です。
チャーチルの民主主義に対する評価と同じく、「資本主義は最悪のシステムだ。ただしほかのシステムより多少はマシ」ということです。
とりあえず資本主義を受け入れる。あるべき姿を提案するのではなく、現実の世の中の仕組みに関する真実を説き、そのシステムの中で成功するための最善策を提供することに著者の目的があります。
「ゆっくりと」という哲学
僕は著者の論説がわりとスキで、しばしばブログも読んでいます。
お金まわりのことに限らず、著者の哲学は以下の言葉に凝縮されています。
In any economic climate, how do we build economic security, foster love, and find joy? How do we get rich?
Slowly.
――――――
(いかなる経済環境にあっても、経済的な安定を構築し、愛情を育み、喜びをみつけるにはどうしたらよいか。どうやって豊かになるのか。ゆっくりと、だ。)
かなりの名言だと思います。
本書でも、富は爆発的でなく地道に増えていくものだということが繰り返し強調されています。
一発大当たり狙いの戦略は成功しない。リスクが高いだけでなく、楽しくもない。一発狙いは強烈なストレスがかかるからです。
成果を出すために必要な2つの条件
仕事にしてもそうです。
最初からすぐに大きな成果を出そうと思ってもまずうまくいきません。その理由は論理的に明らかです。
成果を出すために必要な条件は二つ。能力と運です。
ほとんどすべての人について言えることですが、いきなり飛び抜けた能力を発揮できる人はごくまれにしか存在しません。
運がいい人もいますがそれはあくまでも一時的なもので、ずーっとツイてる人などいません。
運の量は長期で見ればだいたいみんな同じです。
プロの世界はそれなりに厳しい。
仕事を始めたばかりの駆け出しのフェーズでは、ほとんどの人が自分よりも能力の点で優れています。
重要な仕事はなかなか回ってきません。
成果にしても、まれに出会いがしらのホームランはあったとしても、そんなものに持続性はありません。
すぐに大きな成果を出して、周囲に認められようとする――ヤル気があって優秀な人がしばしばはまる落とし穴です。
強力すぎる「複利」のメカニズムとは?
本書が説くお金に当てはめてみましょう。
ごく短期間で手っ取り早く金持ちになろうとすればギャンブルしかありません。
ツイていて一時的に大勝ちしたとしてもそんな幸運は決して続かない。ギャンブルの能力に多少の優劣はあるでしょうが、圧倒的に優れた才能や技術を持っている人はいるわけがない。古今東西の資金運用の王道は低リスク・低コストの長期分散投資となるという成り行きです。
ここで注目すべきは「複利」のメカニズムです。
一回の短期的な儲けが少なくても、その小さな儲けが元本に加算される。次期の儲けは依然として小さいのですが、元手が前よりも少し大きくなっている。これを繰り返しているうちにどんどん複利が効いてきます。雪だるま式大きくなっていく。
アインシュタインの発言として知られる次の言葉があります。
“Compound interest is man’s greatest invention. He who understands it, earns it. He who doesn’t pays it.”
(複利は人類最大の発明。知っている人は複利で稼ぎ、知らない人は利息を払う)
複利効果は日常生活の中で見過ごされがちですが、これほど強力なものはありません。
最初のうちは一つひとつの目の前の仕事で小さな成果を出せばいい。
仕事の元手は実績です。
実績こそが内実であり、実績こそが信用を生みます。
ますます「ゆっくりと」やればイイ
仕事の最大の報酬はお金ではありません。仕事そのものです。だんだんイイ仕事が回ってくる。それで、ますます実績を出すチャンスが大きくなってくる。
最初のうちは何の実績もないのですから、お客や周囲の人が認めてくれるわけはありません。
日々の仕事の実績を一つひとつ重ねて初めて重要な仕事が回ってきます。
小さな実績→前よりも少しだけ大きな仕事→実績→仕事→実績→仕事......複利効果でだんだんと仕事の実績と成果が大きくなっていきます。
もちろんこれには長い時間がかかります。ただし、です。
そもそも仕事生活は長い。短距離走ではなくマラソンです。
百年前と比べれば、人間の寿命や仕事生活ははるかに長くなっているのですから、ますますゆっくりとやればイイ。
焦らず騒がず他人と比較せず、自分にとって重要なことほどゆっくり構える。
ま、これがなかなか難しいのですが、最重要な仕事の原理原則の一つであることは間違いありません。
(本書は『THE ALGEBRA OF WEALTH 一生「お金」を吸い寄せる 富の方程式』に関する書き下ろし特別投稿です)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座・競争戦略およびシグマクシス寄付講座・仕事論)
専攻は競争戦略。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022年、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年、日経BP、杉浦泰氏との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年、東洋経済新報社)などがある。