すると彼女は泣きながら、「辞めます」と一言。おかげで、上からは「何をやってんだ。指導力がないぞ」と叱責(しっせき)され、人事からは「やっと採用したのに」と文句を言われ、さんざんな目に遭ったそうです。同情すべきは氏の方か。
「今後のキャリアを考え、仕事を任せることで自信をつけさせようと考えたのですが、裏目に出てしまいましたよ。コミュニケーション不足が原因ですかね。私の方が泣きたいくらいです」と、氏はこぼしました。そして、「先生はどのように学生を教育しているのですか」と逆に質問を受けた次第です。
あくまでも「オレ流」ですが、と前置きした上で、次のように答えました。ゼミナールでは職業社会を意識しつつ、学びの心構えを丹念に説いて、学ぶ意味を納得させることに時間をかけます。
学びの過程では、任せる箇所は任せても、困難に直面する場面、あるいは方法や知識が必要な場面では、助言や指導を徹底的に行います。
一人ひとりの資質を見極めるまでは手探りですが、好悪の念を抜きにして個人面談を頻繁に繰り返しながら、権威に頼ることなく信頼関係を築いていくように努めています。コミュニケーションの質は、その量に比例するのではないかと、考えています。
もちろん完璧な教育はないでしょう。ですが、私の拙い経験からすると、教育には、可能な限り時間を確保することが最も大切だと思います。学生に迎合する必要性など感じたことはなく、決して、迎合してはいけません。
ただし、学生気質の変化が著しいことも事実です。大学大衆化の時代にあっては、学生の意識や行動を理解しつつ、いかに学生の成長を促すかが、人間性を含めた教員の真価が問われるところではあるでしょう。
職場においても管理職こそ、真の「働き方改革」を実行して、部下と向き合う時間を生み出すことが必要でしょう。管理職の「忙しごっこ」はやめなければなりません。
若者に夢と希望を与えるべく
ミドルよ、大志を抱け!
「一年の計は元旦にあり」。初詣で祈願することは何でしょうか。そこには夢や希望もあることでしょう。また、各自それぞれ1年の計画や目標を立てる……。ですが、何よりも大切なのは、夢や希望がかなえられるように精いっぱい努力することではないでしょうか。まさに「要求する前に努力せよ」ですね。