学校の勉強でも同じことが起きます。アドラーは賢い子どもがクラスの中にいることが必要だといいます。同じクラスで一緒に学んでいた仲間が受験直前に亡くなった時に、これでライバルが一人減ったといった人がいたという話を聞き、驚いたことがあります。

「賢い子どもが、課外学習、例えば、絵画や音楽等々に時間を費やせば役に立つだろう。賢い子どもがこのようにして学ぶことは、クラス全体に益がある。他の子どもたちを刺激するからである。クラスからよくできる生徒をいなくするのはいい考えではない」(『子どもの教育』)

 クラスの中にこのような子どもがいれば、その子どもから刺激を受け、クラス全体が進歩します。アドラーは「賢い子ども」という言葉を使っていますが、「誰でも何でも成し遂げることができる」(『個人心理学講義』)という「天才児の気勢を削ぐ民主的な格率(かくりつ)」(前掲書)を採用するアドラーは、才能が遺伝するという考えを否定し、適切な教育を受ければ誰もが力を発揮できると考えます。

 勉強ができるのは才能ではなく努力の結果だと知っている子どもは、「自惚れたり、過度に野心を持つ」ことはないとアドラーはいいます。

 他方、「天才児」は「いつも期待されているという重圧を担い、常に前へと押し出され、あまりに自分自身のことに関心を持っている」ので、他の子どもに協力しようとは考えません。

勉強を他者に教えるのは損?
ラテン語の諺にヒントあり

「人は教えている間、学んでいる」(Dum docent discunt)というラテン語の諺があります。勉強が先に進んでいる子どもは、そうでない子どもに教えなければなりません。そうすることを嫌がる子どもがいれば、教えることを損だと思ってはいけないと教える必要があります。教師も親も生徒、子どもが勉強を他者との競争と見ることがないようにしなければなりません。

「子どもたちは他の子どもたちが自分よりも先に進むのを見たくない。そこで競争者に追いつくまで労を惜しまないか、あるいは、逆戻りして失望し、自己欺瞞に陥ってしまう」(『子どもの教育』)