競争することしか知らない人は協力することを知りません。他のきょうだいに嫉妬し敵と見なす第一子に協力を教えることは難しい、とアドラーはいいます(Adler Speaks)。

 協力できるためには、対等であると感じなければなりません。自分が特別であると思っている人は、対等とはどういうことかを理解できず、協力することができません。

 ある中学生が医師に、看護師や検査技師のような裏方と一緒に仕事をしていくことの重要性とは何かという質問をしました。その質問に、医師はそれはいい質問だといった後で、次のように答えました。

「看護師や技師は『裏方』ではないということが重要だね」

 今はそれぞれの専門医療従事者が連携してチームとして治療やケアを行っているので、この中学生が考えたように、他の医療従事者は決して裏方ではありません。ことさらチーム医療というような言い方をしない従前の医療現場であっても、医師が一人で治療することはできないので、スタッフとの協力関係は必要不可欠です。

 将来、医師になろうとしていた成績のいいその中学生は、医師になれば「表」に立てると思っていたのでしょう。どんな職場でも、職責が違うだけで、表も裏も、また上も下もありません。対等であるという意識を持てなければ、協力することはできないのです。

他者に貢献することは
自分のためにもなる

 あるテレビドラマで法曹資格を取るために、仲間が一緒に勉強する場面が出てきました。競争するのが当然だと思っている人であれば、一緒に勉強する仲間もライバルだと思うかもしれません。

 韓国の伝統的な格闘技であるシルムの競技者が、自分が試合で勝負することになっている人に、どうすれば勝てるかを教える話をドラマで見たことがあります。教えた人はその技を覚えた人に負かされます。スポーツの世界ではありえない話なのでしょうが、協力することを知っている人であれば、このようなことをしてもおかしくはありません。勝ちさえすれば何をしてもいいと考える方が問題です。