そこまで予備作業をしたうえで、司馬は「ムレ」という言葉は朝鮮半島伝来の言葉と推測するが、「念のため」に『時代別国語大辞典・上代編』(三省堂)を引くのである。そして文献例を挙げ、その辞典でふれられている『八雲御抄(やくもみしょう)』という「十三世紀初頭の歌学の手引書」にまで言及するのである。

 そこまで来て、司馬はタクシー運転手や鈑金屋さんやタバコ屋のおばさんなどに聞き、歩き回って、ついに「鬱蒼とした杉木立」の先に城跡を発見するのである。

 これが司馬遼太郎の『街道をゆく』の尽きせぬ魅力である。

「ムレ」という語から、連想し、記憶を探り、一々資料文献を繙(ひもと)いて、確かめる。こちらはその都度、司馬に引き回される快感を覚えるのである。

 こればかりは全43巻買わずにはいられなかった。晶文社の『吉本隆明全集』は不要だが、『街道をゆく』は全巻、手元に置いておきたいのだ。

『街道をゆく8』には、「豊後・日田街道」の項目がある。

 わたしの故郷、大分県である。ただわたしが馴染みの竹田は範囲に入っておらず、北の由布院、日田が主である。

 まあそれでもいい。それでもいい、じゃない。どこであれ、おもしろいのだ。

詩人・吉本隆明の著作から
心が離れてしまった理由

 吉本隆明が2012年(平成24年)に亡くなってから(87歳)、わたしは急速に吉本の著作から離れた。

 まるで読む気がなくなってしまったのだ。なぜだったかはわからない。わたしは生きている吉本が好きだったのかもしれない。なんだそれ?

 吉本さん、やっぱり死んじゃだめだよ、という想いがあった。

 昨年(2024年)は吉本隆明の生誕100年だったようである。

 7月に岩波文庫から『吉本隆明詩集』が発売された。帯には「吉本隆明生誕100年」とある。

 こんな本が出ていることさえ知らなかった。興味がなくなっていることのひとつの証左である。

 発売から1カ月以上たってからなにかの拍子に、このことを知った。その瞬間、この本は今後、つねに必携すべき本になると直感した。

 吉本隆明の詩集は講談社文芸文庫などからも出ている。