それはつぎの調査結果にも透けて見える。2022年のウェブ調査(編集部注/企業などの組織で働く人を対象にした筆者の調査。NTTコムリサーチに委託し、企業などの組織で働く男女を対象として2022年2月にウェブで行った)では高校生への「授業中にわかっていても手を挙げなかったり、自分の意見を言わなかったりすることがありますか?」という質問に対し、「よくある」または「ときどきある」と答えた者は計89.7%とほぼ9割に達した。

 実際に高等学校では教師が当てないかぎり自分から答える者はいないのが普通になっている。帰国子女や海外からの転入生に聞くと、日本の学校のこのような光景は異様に感じられるというし、実際にアメリカやヨーロッパの学校で教室を覗くと、生徒たちが競うように手をあげる様子を目にする。

 では、積極性に欠ける生徒に対して教師は強い不満を抱いているかというと、必ずしもそうではない。多くの教師は生徒が反応しないのを当然であるかのように受け止め、淡々と授業を進める。大学生に高校時代を振り返ってもらうと、むしろ積極的に意見を述べたり主張したりする生徒を快く思わない教師がいることが伝わってくる。

 たとえば帰国子女の生徒が、海外にいたときと同じ調子で意見を述べるとクラスで浮くばかりか、教師からも不快な顔をされたり、無視されたりすることがあるというのだ。またベテラン教師たちからは、授業でサボっていても注意しない教師が増えたという声も聞かれる。

 ついでにいえば社会問題化している過剰な校則も、規律やルールを教えるという建前の背後に「厳しく管理しておいたほうが楽だから」という教師側の本音が見え隠れする。
 受け身で自ら発言も行動もしない生徒と「事なかれ主義」の教師。そこにもまたゆがんだ均衡、「空洞化」した共同体の姿がある(編集部注/共同体は、メンバーによる「自治」と、共同体からメンバーへの「受容」があってはじめて成り立つが、その均衡が崩れた状態を、筆者は「ゆがんだ」と評している。また、筆者は、共同体における「自治」の消滅を「空洞化」と呼んでいる)。

現代の「もの言わぬ生徒」と
かつての「暴れる生徒」は類似?

 ところで、中学校の校長や教頭が参加する管理職研修でつぎのような報告があった。いまから40年くらい前、全国的に「荒れる学校」が問題になった。公立中学では校内暴力や器物破壊が頻発し、卒業式にはパトカーが校門についている姿が珍しくなかった。